2014年9月22日月曜日

ロシア 世界遺産、サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

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➛サンクトペテルブルクは、レニングラード州の州都で、かつてのロシア帝国の首都でした。モスクワと並ぶロシアの大都市で、運河をたたえた美しい町であり、北のヴェネツィアと称されることもあります。エルミタージュ美術館、冬宮殿、エカテリーナ宮殿、アレクサンドル・ネフスキー修道院等の歴史地区は、 1990年に世界遺産に登録されています。
宮殿広場のアーチ
➛オススメ動画 華麗なるロシアを訪ねて=第1巻 サンクトペテルブルク


ロシア サンクトペテルブルク(カザン大聖堂 冬宮殿)
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ロシア サンクトペテルブルク、プーシキンスキー(エカテリーナ宮殿)など
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ロシア サンクトペテルブルク、ぺテルゴフ(ボリショイ大宮殿)など
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新 Google Map ロシア サンクトペテルブルク 宮殿広場のアーチ

➛宮殿広場に建つ参謀本部ビル。建物は、レニングラード軍管区に属し、東翼にはエルミタージュ美術館があります。建物は建築家カルロロッシにより(1819年から1829年)建設されました。
参謀本部ビル

➛冬宮殿は、サンクトペテルブルクにあるかつてのロシア帝国の宮殿です。冬宮ともいい、ロシア皇帝の冬季の王宮として1754年~1762年の間に建設されました。帝政時代は王宮として機能し、最初に使用したのはエカテリーナ大帝‎(在位:1762年 - 1796年)で、レフ・トルストイによる小説『戦争と平和』に描かれる1812年ロシア戦役前後のロシア宮廷の舞台の一つです。
冬宮殿

➛エルミタージュ美術館は、1764年にエカチェリーナ2世がドイツから美術品を買い取ったのが、エルミタージュ・コレクションのはじまりです。美術館の起源はエカチェリーナ2世が1775年に建てた自身専用の美術品展示室であり、一般に公開はされていませんでしたが、1863年に初代館長となったゲデオーノフによって市民も観覧が可能となりました。
エルミタージュ美術館

➛聖イサーク寺院は、サンクトペテルブルク中心にあるロシア正教会の寺院で、ドームは全高101.5メートルの偉容を誇ります。聖イサーク寺院の名称は、ピョートル大帝の守護聖人、ダルマチアの聖イサクに由来します。
聖イサーク寺院の夜景

➛青銅の騎士は、ネヴァ川左岸の元老院広場に立つロシア皇帝ピョートル1世(大帝)の騎馬像です。文学者アレクサンドル・プーシキンが1833年に書いた長編叙事詩がピョートル大帝の騎馬像を題材にとり、この詩が有名になったため、騎馬像も「青銅の騎士」と呼ばれています。
青銅の騎士

➛ニコラエフスキー宮殿は、ロシア皇帝ニコライ1世の皇子女のために造営されました。ニコライ1世の第3皇子ニコライ・ニコライヴィチ大公が長じて後、その居殿となりました。ニコライ大公没後は再び帝室の所有に帰し、1894年クセニア・アレクサンドロヴナ大公女名称女子大学となり、ロシア革命後は、ボリシェヴィキによって「労働宮殿」と改称されました。
ニコラエフスキー宮殿

カザン聖堂は、サンクト・ペテルブルクにあるロシア正教の寺院です。ロシア正教会の寺院には、複数の同名の聖堂が存在しますが、サンクト・ペテルブルクのカザン聖堂とモスクワのカザン聖堂がよく知られています。
夜のカザン大聖堂

カザン大聖堂

➛血の上の救世主教会は、サンクトペテルブルクにあるロシア正教会の寺院で、公式名は、キリスト復活大聖堂です。この名称は、1881年3月13日のロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺によるもので、教会が建つ場所は、皇帝遭難の地です。
血の上の救世主教会

ロシア美術館

ミハイロフ城

大理石宮殿

大聖堂

➛タヴリーダ宮殿は、サンクト・ペテルブルクにおける最も規模の大きく、歴史的由緒のある宮殿建築のひとつであり、エカテリーナ2世時代のロシア古典主義建築の傑作です。
タヴリーダ宮殿

タヴリーダ宮殿

➛アレクサンドル・ネフスキー大修道院は、ピョートル大帝によって1710年に建造された修道院で、サンクトペテルブルクのネフスキー地区の南端に建設され、新首都の守護聖としてアレクサンドル・ネフスキーの遺骸を安置しています。
アレクサンドル・ネフスキー大修道院

➛ペトロパヴロフスク要塞は、18世紀に発生した大北方戦争の過程で、スウェーデンから奪った土地を防衛するために築かれました。河口付近のザーヤチ島を高い壁で取り囲むように構築されています。
ペトロパヴロフスク要塞

➛スウェーデンの脅威が低下した19世紀には、政治犯収容所としても利用され、一時はバクーニンやネチャーエフ、ドストエフスキー、レーニンらも収容されました。
ペトロパヴロフスク要塞

背景にペトロパヴロフスク要塞

プーシキンの家

➛スモーリヌイ修道院はソビエト政権独立宣言がここで行われ、首都がモスクワに移されるまでソビエト政府の中枢でした。
スモーリヌイ修道院

➛世界遺産、サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群は、ロシアの都市サンクトペテルブルクの中心部およびその郊外の建造物を登録範囲とするユネスコ世界文化遺産の登録名称で、広い範囲で素晴らしい関連建造物群36点が登録されています。
エカテリーナ宮殿

➛エカテリーナ宮殿は、サンクトペテルブルク中心部から南東25kmの郊外の避暑地ツァールスコエ・セローに存在するロシア帝国時代のロココ建築の宮殿です。宮殿の名前は、ピョートル大帝の后でもあった、第2代ロシア皇帝エカテリーナ1世(在位:1725年 - 1727年)に由来します。
エカテリーナ宮殿 南側、庭からの眺め

➛エカテリーナがドイツの建築家Johann-Friedrich Braunsteinを雇って夏の避暑用の離宮として1717年に作らせたのが最初のもので、その後、第4代ロシア皇帝アンナ(在位:1730年 - 1740年)がロシア人建築家に命じて増築させました。
エカテリーナ宮殿 南方からの眺め

➛琥珀の間は、エカテリーナ宮殿内の一室で、その名のとおり部屋全体の装飾が琥珀で出来ており、これは世界で唯一のものです。
琥珀は、第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ軍に持ち去られましたが、1979年から始まった復元作業により、2003年に琥珀の間は完全に復元されました。
エカテリーナ宮殿 琥珀の間

プーシキンの像

エカチェリーナ2世宮

➛ツァールスコエ・セローは、サンクトペテルブルク中心区の南方24kmほどの位置にあるロシア皇帝の離宮、エカテリーナ宮殿などが集まる避暑地で、かつてはプーシキン市だったが、現在はサンクトペテルブルク市プーシキン区となっています。1937年以降はこの地で学んだプーシキンにちなんでプーシキンと呼ばれます。但し駅名は現在でも「ヂェーツコエ・セロー」である。
ヂェーツコエ・セロー駅

アレクサンドロフスカヤ駅

パークゲート

キャサリン公園チャイナタウン

アレクサンドロフスキー宮殿

カトリック教会

Pavlovsky連隊の兵舎

➛ぺテルブルグから車で一時間半ほど行ったところに、ペテルゴフという町があります。そこにはピョートル大帝が夏を過ごすために建てた夏の宮殿があります。
ペテルゴフのボリショイ大宮殿

ボリショイ大宮殿

聖使徒ペトル・パウェル大聖堂

アングリスキー公園

スタリペテルゴフ駅
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