➛Google Map➛Travel
➛四季を通じて楽しむことができる西宮の夙川公園ですが、川の両岸、南北2.8kmに咲く桜並木は見事です。3月下旬~4月上旬にかけ、ソメイヨシノを中心に約 1,660本の桜が一斉に開花します。
2006年4月7日、この日は、夙川公園から王子動物園の桜を観賞した後、運航を開始した神戸空港を見てきました。
➛夙川公園の桜
➛オススメ動画 萌ゆる想い
➛夙川公園の全体は、西宮市の夙川の河川敷沿い約4km、20.8haにわたって整備された阪神間有数の都市公園です。
➛東岸遊歩道の桜
➛東岸遊歩道の桜
➛1937年(昭和12年)に当時の金額で34万円余りで、約5ヶ月かけて作りました。その後、1949年(昭和24年)、1,000本の桜の若木が植樹され、その桜の管理は、桜博士と呼ばれる笹部新太郎氏が直接指導をし、1990年(平成2年)には日本さくらの会に「日本さくら名所100選」として認定されました。
➛西岸遊歩道の桜
➛しかし、2007年現在、夙川公園では、桜や松などの樹木が伐採される可能性が訪れています。
➛夙川公園
➛夙川公園
➛それは阪急甲陽線の苦楽園口駅から甲陽園駅にかかる区間を地下化して、線路を道路へ移設し、トンネルを露天掘りする計画があるからです。これに伴い夙川公園の樹木は数百本(周辺を含め多ければ千本)近く伐採される予定です。
➛夙川公園
➛夙川公園
➛ただ、桜の間を走るのどかな単線運行の阪急電車の景観を愛する人も多く、この工事計画にはほとんどの周辺住民が反対しており、計画は進展していないとのことです。
➛公園内を跨ぐ阪急甲陽線
➛東岸遊歩道(12月初旬)
➛西岸遊歩道(12月初旬)
➛王子動物園 旧ハンター住宅館前
➛王子動物園 旧ハンター住宅館
➛王子動物園 桜
➛王子動物園にて
2010年3月31日水曜日
2010年3月30日火曜日
トルクメニスタン 首都アシガバートと世界遺産、古代メルフなど
➛Google Map
➛名所・史跡を投稿画像で紹介。
➛トルクメニスタンは、中央アジア南西部に位置する共和国で、カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住み、豊富な石油や天然ガスを埋蔵する永世中立国であると共に、独裁国家でもあります。
➛カラ・クム(黒い砂)砂漠
➛オススメ動画「Gas Crater」
➛石油と天然ガスが眠る灼熱のクレーターです。
➛カラクム砂漠 灼熱のクレーター
➛首都アシガバートのニュートラリティ・アーチ(中立のアーチ)は、トルクメニスタンの永世中立を記念した高さ75mのアーチですが、頂上に立つ初代大統領サパルムラト・ニヤゾフの金メッキの像で有名です。像は24時間360度回転しており、昼間は常に陽が差すようにしています。
➛ニュートラリティ・アーチ
➛故ニヤゾフ大統領時代は、完全な独裁体制が確立し、欧米からは「中央アジアの北朝鮮」といわれていました。 黄金のニヤゾフ大統領像は高さ14mで、太陽を追って回転します。言論の自由はなく、インターネットの一般利用も認められていませんでした。現在、国民の多くはパラボラアンテナにより海外の衛星放送を受信しています。
➛故ニヤゾフ大統領像
➛大統領宮殿 夕景
➛大統領宮殿
➛首都のアシガバートは、独立後、大理石や金を用いた建物が立ち並ぶ近代都市になりました。 国立博物館は、パルティア時代の出土品を始め、豊富な展示物に圧倒されます。
➛独立15周年記念碑
➛モスク
➛モスク 夜景
➛ミュージックシアター
➛トルクメンバシの父 記念館
➛アシガバートのサーカス
➛パルティア人城砦群は、紀元前3世紀に興った騎馬民族国家パルティアの都跡です。馬上から振り向きざまに弓を引いて矢を放つ「パルティアン・ショット」の戦法で、ローマ帝国とも渡り合った強大な国家でした。ヘレニズム様式を好み、ギリシャの神々を祀った神殿跡や、ワインを貯蔵した宝物殿跡などが残ります。
➛ニサのパルティア人城砦群
➛メルフは、紀元前5世紀には都市として成立し、前2~3世紀にパルティア、紀元3世紀にササン朝の都市として栄えました。11~12世紀のセルジュク朝の時代に全盛期を迎えますが、1222年のチンギス・ハーンの攻撃により破壊され滅ぼされました。中央アジア最大の遺跡で、広大な敷地の中に残る高さ15メートルを超える大キズカラの巨大さには圧倒されます。
➛古代メルフの大キズカラ
➛クフナ・ウルゲンチは、1221年にチンギス・ハーンに滅ぼされるまで、中央アジア一帯の覇権を握っていたホラズム王国の都跡です。近くを流れるアムダリア川が流れを変えてしまったため、ホラズム王国の都は後世ヒワに遷都されました。
➛チェラベク・ハニム廟
➛クニャ・ウルゲンチには、中央アジアで最も高い「クトゥルグ・チムールのミナレット」を始め、ウズベキスタンとは一味趣の違う建築群が残っています。
➛テケッシュ廟
➛テケッシュ廟
➛ミナレット
➛ミナレット
➛名所・史跡を投稿画像で紹介。
➛トルクメニスタンは、中央アジア南西部に位置する共和国で、カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住み、豊富な石油や天然ガスを埋蔵する永世中立国であると共に、独裁国家でもあります。
➛カラ・クム(黒い砂)砂漠
➛オススメ動画「Gas Crater」
➛石油と天然ガスが眠る灼熱のクレーターです。
➛カラクム砂漠 灼熱のクレーター
➛首都アシガバートのニュートラリティ・アーチ(中立のアーチ)は、トルクメニスタンの永世中立を記念した高さ75mのアーチですが、頂上に立つ初代大統領サパルムラト・ニヤゾフの金メッキの像で有名です。像は24時間360度回転しており、昼間は常に陽が差すようにしています。
➛ニュートラリティ・アーチ
➛故ニヤゾフ大統領時代は、完全な独裁体制が確立し、欧米からは「中央アジアの北朝鮮」といわれていました。 黄金のニヤゾフ大統領像は高さ14mで、太陽を追って回転します。言論の自由はなく、インターネットの一般利用も認められていませんでした。現在、国民の多くはパラボラアンテナにより海外の衛星放送を受信しています。
➛故ニヤゾフ大統領像
➛大統領宮殿 夕景
➛大統領宮殿
➛首都のアシガバートは、独立後、大理石や金を用いた建物が立ち並ぶ近代都市になりました。 国立博物館は、パルティア時代の出土品を始め、豊富な展示物に圧倒されます。
➛独立15周年記念碑
➛モスク
➛モスク 夜景
➛ミュージックシアター
➛トルクメンバシの父 記念館
➛アシガバートのサーカス
➛パルティア人城砦群は、紀元前3世紀に興った騎馬民族国家パルティアの都跡です。馬上から振り向きざまに弓を引いて矢を放つ「パルティアン・ショット」の戦法で、ローマ帝国とも渡り合った強大な国家でした。ヘレニズム様式を好み、ギリシャの神々を祀った神殿跡や、ワインを貯蔵した宝物殿跡などが残ります。
➛ニサのパルティア人城砦群
➛メルフは、紀元前5世紀には都市として成立し、前2~3世紀にパルティア、紀元3世紀にササン朝の都市として栄えました。11~12世紀のセルジュク朝の時代に全盛期を迎えますが、1222年のチンギス・ハーンの攻撃により破壊され滅ぼされました。中央アジア最大の遺跡で、広大な敷地の中に残る高さ15メートルを超える大キズカラの巨大さには圧倒されます。
➛古代メルフの大キズカラ
➛クフナ・ウルゲンチは、1221年にチンギス・ハーンに滅ぼされるまで、中央アジア一帯の覇権を握っていたホラズム王国の都跡です。近くを流れるアムダリア川が流れを変えてしまったため、ホラズム王国の都は後世ヒワに遷都されました。
➛チェラベク・ハニム廟
➛クニャ・ウルゲンチには、中央アジアで最も高い「クトゥルグ・チムールのミナレット」を始め、ウズベキスタンとは一味趣の違う建築群が残っています。
➛テケッシュ廟
➛テケッシュ廟
➛ミナレット
➛ミナレット
2010年3月26日金曜日
パキスタン 首都イスラマバードと、世界遺産ロータス・フォートの景観
➛Google Map
➛名所・史跡を投稿画像で紹介。
➛パキスタンの首都イスラマバードは、人口は約81万人。名前は「イスラームの都市」の意味を持ちます。1959年6月にパキスタンの首都に選定、1961年に開発が始まりました。ラーワルピンディーの近郊に作られた人工都市であり、升目状の街路を持ち、北部には、巨大なモスク(ファイサル・モスク)があります。
➛内閣府のライトアップ
➛オススメ動画「ロータス・フォート」
➛大統領官邸
➛上院議会
➛Rawal湖公園
➛議会宿舎
➛首都イスラマバードのファイサル・モスク(イスラム教寺院)は、1966年にサウジアラビアの国王シャー・ファイサルの寄進によって建設されました。
➛ファイサル・モスク
➛ロータス・フォート(ロータス城塞)は、シェール・シャー(「トラの王」の名前でも知られるスール朝の創始者)によって建設された要塞で、周囲は約4キロメートルに達し、パシュトゥーン建築とヒンドゥー建築の両様式が絶妙に融合した最初期の事例です。
➛ロータス城塞
➛ロータス・フォートは、守備隊を駐屯させるために建設された要塞で、3万人の軍隊を駐留させることが可能でした。要塞の地政学上の要請から、厚い壁、罠が仕掛けられた城門、3本の井戸を備えています。
➛ロータスの住居
➛ロータス・フォートの建設は、1541年に始まりました。設置された稜堡において、マスケット銃を装備することが可能になっており、戦士たちは、また、壁越しに溶融した鉛を注ぐことができました。
➛ロータス城塞
➛ロータス・フォートは、12の城門を持ち、全ての城門が、切石積みで建設されています。中でもソハール門は、シェール・シャー時代に建設された、ロータス・フォートにおけるもっとも好例の石造建築の城門です。他にシャー・チャンドワーリー門、カーブル門など・・・。
➛ソヘール門
➛ソヘール門上にあるロータス城塞博物館の展示品です。
➛ロータス城塞博物館
➛カーブル門
➛他の建築物としてカーブル門のそばにある小さなモスクがシャーヒー・モスク、3つの階段井戸(バーオリー)、ラーニー・マハル(王妃の宮殿)が存在します。
➛シャーヒー・モスク
➛墓
➛名所・史跡を投稿画像で紹介。
➛パキスタンの首都イスラマバードは、人口は約81万人。名前は「イスラームの都市」の意味を持ちます。1959年6月にパキスタンの首都に選定、1961年に開発が始まりました。ラーワルピンディーの近郊に作られた人工都市であり、升目状の街路を持ち、北部には、巨大なモスク(ファイサル・モスク)があります。
➛内閣府のライトアップ
➛オススメ動画「ロータス・フォート」
➛大統領官邸
➛上院議会
➛Rawal湖公園
➛議会宿舎
➛首都イスラマバードのファイサル・モスク(イスラム教寺院)は、1966年にサウジアラビアの国王シャー・ファイサルの寄進によって建設されました。
➛ファイサル・モスク
➛ロータス・フォート(ロータス城塞)は、シェール・シャー(「トラの王」の名前でも知られるスール朝の創始者)によって建設された要塞で、周囲は約4キロメートルに達し、パシュトゥーン建築とヒンドゥー建築の両様式が絶妙に融合した最初期の事例です。
➛ロータス城塞
➛ロータス・フォートは、守備隊を駐屯させるために建設された要塞で、3万人の軍隊を駐留させることが可能でした。要塞の地政学上の要請から、厚い壁、罠が仕掛けられた城門、3本の井戸を備えています。
➛ロータスの住居
➛ロータス・フォートの建設は、1541年に始まりました。設置された稜堡において、マスケット銃を装備することが可能になっており、戦士たちは、また、壁越しに溶融した鉛を注ぐことができました。
➛ロータス城塞
➛ロータス・フォートは、12の城門を持ち、全ての城門が、切石積みで建設されています。中でもソハール門は、シェール・シャー時代に建設された、ロータス・フォートにおけるもっとも好例の石造建築の城門です。他にシャー・チャンドワーリー門、カーブル門など・・・。
➛ソヘール門
➛ソヘール門上にあるロータス城塞博物館の展示品です。
➛ロータス城塞博物館
➛カーブル門
➛他の建築物としてカーブル門のそばにある小さなモスクがシャーヒー・モスク、3つの階段井戸(バーオリー)、ラーニー・マハル(王妃の宮殿)が存在します。
➛シャーヒー・モスク
➛墓
2010年3月24日水曜日
パキスタン 世界遺産、ラホールの城塞とシャーラマール庭園など
➛Google Map
➛名所・史跡を投稿画像で紹介。
➛ラホールは、パンジャブ州の州都にしてパキスタン第2の都市で、中世にはアフガニスタンのガズニ朝の都となりました。その後、16世紀にはムガル朝の都として繁栄し、この時代に建てられた壮大な建築物バードシャヒ・モスクやラホール・フォートが今も残ります。
➛ラホール博物館
➛オススメ動画「フラッグ・セレモニー」
➛バードシャーヒー・モスクは、ラホールの象徴といえるモスクで、ムガル朝第6代皇帝アウラングゼーブが建設し、一度に10万人の人が礼拝できるほどの規模を誇ります。赤砂岩で建てられていますが、これは別名ピンク・シティと呼ばれるインドのジャイプールから運ばれたもので、当時のムガル帝国の繁栄が伺えます。
➛バードシャーヒー・モスク
➛マハラジャランジットシンの墓
➛ムハンマドイクバールの墓
➛ラホール城は、ムガル帝国の第3代皇帝アクバルがラホールを都とし、壮大なラホール・フォートを建てました。その後、歴代皇帝により建築が重ねられ拡張し、内部に庭園、女王の宮殿シーシュ・マハル、大理石と90万個の宝石で装飾された小宮ナウラカなど、当時の栄華を偲ぶことができます。
➛ラホール城メイン入口
➛ラホール城入口
➛ラホール城
➛古い砦
➛シャーラーマール庭園は、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハンにより王族の保養地として造られた庭園で、ペルシア様式のテラスや噴水があります。緑豊かな庭園で、パキスタン人の家族が訪れる憩いの場になっています。着飾った女性たちの国民衣装シャルワール・カミースが映える美しい場所です。
➛シャーラーマール庭園
➛シャーラーマール庭園
➛アーシフ・ハーン廟は、第5代皇帝シャー・ジャハーンの妻ムムターズ・マハルの父であるアーシフ・ハーンの墓です。
➛アーシフ・ハーン廟
➛ジャハーンギール廟は、第4代皇帝ジャハーンギールが眠り、1637年に建設されました。かつては、1000パキスタン・ルピー紙幣にも採用されていました。
➛ジャハーンギール廟
➛ラホールから東へ1時間に位置するインドとの国境ワガでは、毎日、日没時に両国の国旗を降ろす「フラッグ・セレモニー」が行われます。 両国民が観客席からそれぞれの国を称える言葉を叫びます。さながら国境での応援合戦で、パキスタンでは観客は男女別に観客席に入ります。言葉では表現できない興奮したセレモニーです。
➛国境ワガ
➛国境ワガ
➛名所・史跡を投稿画像で紹介。
➛ラホールは、パンジャブ州の州都にしてパキスタン第2の都市で、中世にはアフガニスタンのガズニ朝の都となりました。その後、16世紀にはムガル朝の都として繁栄し、この時代に建てられた壮大な建築物バードシャヒ・モスクやラホール・フォートが今も残ります。
➛ラホール博物館
➛オススメ動画「フラッグ・セレモニー」
➛バードシャーヒー・モスクは、ラホールの象徴といえるモスクで、ムガル朝第6代皇帝アウラングゼーブが建設し、一度に10万人の人が礼拝できるほどの規模を誇ります。赤砂岩で建てられていますが、これは別名ピンク・シティと呼ばれるインドのジャイプールから運ばれたもので、当時のムガル帝国の繁栄が伺えます。
➛バードシャーヒー・モスク
➛マハラジャランジットシンの墓
➛ムハンマドイクバールの墓
➛ラホール城は、ムガル帝国の第3代皇帝アクバルがラホールを都とし、壮大なラホール・フォートを建てました。その後、歴代皇帝により建築が重ねられ拡張し、内部に庭園、女王の宮殿シーシュ・マハル、大理石と90万個の宝石で装飾された小宮ナウラカなど、当時の栄華を偲ぶことができます。
➛ラホール城メイン入口
➛ラホール城入口
➛ラホール城
➛古い砦
➛シャーラーマール庭園は、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハンにより王族の保養地として造られた庭園で、ペルシア様式のテラスや噴水があります。緑豊かな庭園で、パキスタン人の家族が訪れる憩いの場になっています。着飾った女性たちの国民衣装シャルワール・カミースが映える美しい場所です。
➛シャーラーマール庭園
➛シャーラーマール庭園
➛アーシフ・ハーン廟は、第5代皇帝シャー・ジャハーンの妻ムムターズ・マハルの父であるアーシフ・ハーンの墓です。
➛アーシフ・ハーン廟
➛ジャハーンギール廟は、第4代皇帝ジャハーンギールが眠り、1637年に建設されました。かつては、1000パキスタン・ルピー紙幣にも採用されていました。
➛ジャハーンギール廟
➛ラホールから東へ1時間に位置するインドとの国境ワガでは、毎日、日没時に両国の国旗を降ろす「フラッグ・セレモニー」が行われます。 両国民が観客席からそれぞれの国を称える言葉を叫びます。さながら国境での応援合戦で、パキスタンでは観客は男女別に観客席に入ります。言葉では表現できない興奮したセレモニーです。
➛国境ワガ
➛国境ワガ
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