➛Google Map
➛伊豆高原から下田へと移動します。
伊豆の下田は、江戸時代には、江戸・大坂間の風待ち湊として栄えた町であり、東海道の三島宿から伊豆半島中央部を南北に縦断する下田街道の終点でもあります。
➛下田駅前
➛静岡 伊豆半島(伊東市 下田市 伊豆市 三島市)
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➛Wikiloc ツアー一覧(後順)
➛空から街並み拝見(Google Earth)
➛新 Google Map 静岡 下田市 ペリーロード
➛一般には下田は、開国の街として知られ、1854年(嘉永7年)に日米和親条約が締結、箱館とともに開港しました。吉田松陰の米渡航失敗、ロシア使節プチャーチン提督乗船のディアナ号遭難、米国領事タウンゼント・ハリスと「唐人お吉」、「商業写真の祖」下岡蓮杖など、数々のエピソードがあります。
➛下田駅前
➛宝福寺は総領事ハリスに仕え、後に非業の死を遂げた、お吉の菩提寺です。敷地内にはお吉記念館があり、見学することができます。幕末には日米交渉の際の幕府役人の宿舎にあてられました。
➛宝福寺(唐人お吉記念館)
➛勝海舟・坂本竜馬の縁の地でもあります。
➛宝福寺にて
➛お吉塚
➛宝福寺にて
➛下田奉行所跡地
➛唐人お吉が晩年に(明治15年)、料亭「安直楼」を営んだ安政末期の建物です。昔の面影を残し、2階には当時の客間やお吉の遺品などが展示されています。
➛安直楼
➛お吉は、下田に戻って人生を一から始めようと思い、そして、亀吉という船主の援助を受けて料亭「安直楼」を開業し、時には髪結いもして稼ぎました。ただ相変わらずお吉は酒好きで金遣いも人遣いも荒かったので自然に人が遠ざかるようになり、やがて安直楼も廃業せざるをえなくなります。
➛安直楼
白と黒の碁盤目が斜めに交差する「なまこ壁」は、古風で独特の下田情緒を街にかもし出しています。下田で見られるなまこ壁は、土蔵や民家で使われ、竹で骨組を作って、その上から土を何層にも重ね、平瓦を張り、水の侵入を防ぐため、しっくいを盛り上げたものです。その盛り上がり方がなまこに似ているところから、なまこ壁と言われるようになりました。
➛なまこ壁
➛なまこ壁
➛ペリーロードは、黒船でやってきたペリー提督が了仙寺で日米下田条約締結の為に行進した道で、現在は、了仙寺から下田公園への約500m.平滑川をはさむ石畳の小道沿いにはなまこ壁や伊豆石造りの風情ある家並みが続いています。
➛ペリーロード
➛ペリーロード周辺
➛ペリーロード周辺にて
➛ペリーロード周辺
➛足湯
➛了仙寺は、幕末にペリーと幕府の間で日米下田条約が締結された日本開国の国指定史跡で開国殿と呼ばれています。5月には境内のアメリカジャスミンが満開になり、強い香りを放ちます。
➛了仙寺
➛了仙寺
➛了仙寺
➛下田駅
➛下田駅にて
➛下田から早咲きの桜で知られる河津に引き返し、ここから河津街道に入り、天城峠などを経由、山越えをして修善寺に向かいます。
➛河津
➛河津のループ橋
➛静岡 伊豆、修善寺温泉の景観
2014年9月17日水曜日
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