2011年4月25日月曜日

マリ 首都バマコと世界遺産、日乾煉瓦と泥塗のイスラーム建築

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➛マリは、西アフリカの共和制国家で、首都はバマコです。国土の北側3分の1はサハラ砂漠の一部であり、残りの中南部も、ちょうど中心を流れるニジェール川沿岸だけが農耕地となっている以外は乾燥地帯です。
リビアホテルからの眺め
➛オススメ動画 Visite de Djenné / Visit of Djenne (Mali)

リビアホテル

BCEAOタワー

➛15世紀、ソンガイ帝国頃はニジェール川上流域が豊富な金の産地であったことからムスリム商人らが訪れ、サハラ交易が盛んに行われていました。
市場

➛1904年にフランスの植民地となり、1960年6月、隣国のセネガルと共に、マリ連邦を結成し、フランスから独立をしました。
独立慰霊碑

国民議会

➛バマコは河港と通じた商業交易上の結節点でもあり、取引商品には織物、肉製品、金属加工品などが多く、ニジェール川では漁業が盛んです。
教会

グランドモスク

市街

➛西アフリカのダカール(セネガル)とクリコロ(マリ)間を結ぶ鉄道路線「ダカール・ニジェール鉄道」のバマコ駅です。
鉄道駅

➛トンブクトゥは、13世紀に成立したマリ王国の首都として建設され、サハラ交易における商都の役割を果たしたのみならず、サハラ地帯の宗教センターも兼ねていました。
モスク

➛世界遺産に登録されているトンブクトゥやジェンネに現存するイスラーム建築の建築材料は日乾煉瓦と泥塗で、ミフラーブやミナレットというイスラーム建築の根幹の部分には、イスラーム建築の伝統である日乾煉瓦を使用しています。
トンブクトゥの景観

➛アフリカの伝統的工法である泥、樹皮を剥いた自然木、石をそれ以外のもとに使用することで、他の地域とはっきりと区別しうる建築様式が誕生しました。
サンコレのメデルサ

ストリート

➛屋根が100本の柱で支えられているジェンネの大モスクは、奥行き75m、高さ20mで、1000人の信徒を収容でき、表面の材質は泥のため、町の住民で分担して毎年塗り直しが行われています。
大モスク

大モスク

ジェンネの景観

バンディアガラの断崖

2011年4月16日土曜日

イスラエル 世界遺産、マサダ要塞の遺跡

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➛マサダとは、イスラエル東部、死海西岸近くにある古代ローマユダヤ属州時代の要塞の遺跡で、標高約400メートルの岩山に位置します。
マサダ要塞の遺跡
➛オススメ動画 La resistencia de Massada Israel - Masada

➛紀元前120年頃に要塞が建設され、後にヘロデ大王が離宮兼要塞として改修し、難攻不落と言われました。
マサダのスネークパス

➛ユダヤ戦争におけるユダヤ人の集団自決(73年)で知られ、2001年に世界文化遺産に登録されています。
北部宮殿

➛マサダは、その歴史的経緯から現在でもなお多くのユダヤ人にとって特別な思い入れのある場所であり、ユダヤ人全滅の悲劇を再び繰り返してはならないという決意から、イスラエル国防軍の入隊式がマサダ頂上で行われ、国家への忠誠を誓います。
要塞の彫刻

ヘロデ王の宮殿

➛66年にローマ帝国との戦争が始まり(ユダヤ戦争)、70年のティトゥス率いるローマ軍によってエルサレムが陥落した後、熱心党員を中心としたユダヤ人967人がエルアザル・ベン・ヤイルに率いられてマサダに立てこもり、ローマ軍15000人がこれを包囲しました。
シナゴーグ

➛ユダヤ人たちは2年近く抵抗したが、73年についにローマ軍によって攻め落とされます。陥落直前にユダヤ人たちは、投降してローマの奴隷となるよりは死をと、2人の女と5人の子供を残して全員が集団自決したといい、これによってユダヤ戦争は完全に終結しました。
ケーブルカー

➛マサダは、イスラエル国内でエルサレムに次ぐ人気の観光地となっており、観光用のロープウェイが整備されています。
ケーブルカー

マサダ国立公園

➛マサダは、73年のローマ軍による破壊後は長い間その所在が分からなくなっていたが、1838年にドイツ人研究者によって発見されました。
博物館

博物館

頂上の日の出

地下プール

ミュージカル

2011年4月15日金曜日

チェコ 世界遺産、テルチ歴史地区の景観

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➛モラビア地方にある小さな町テルチは、貿易路の交差点上にあって、3つの池に囲まれており、13世紀当時、これらの池は王家の要塞の役割を担っていました。
雨上がりの湖畔
➛オススメ動画 Prezentace Telč

テルチ城

テルチ城内

テルチの景観

➛テルチが現在のような町になったのは、城や町の中心地が再建された16世紀のことで、この発展は当時多大な影響力を持っていたイエズス会の力によるものでした。
教会

教会の塔からの眺め

ゲート

➛テルチ城とその庭園の他に、この町の重要な遺跡とされているのはザハリアーシュ広場です。この広場には、ルネサンス様式とバロック様式がユニークに混合された家々が建っています。
ザハリアーシュ広場

ザハリアーシュ広場

➛家のアーケードや切妻屋根は、町全体の総合的なプランによって造られました。また、音楽や演劇はテルチの人々の生活にとって今でも重要なものとなっています。
バルーン



湖畔

テルチの冬

2011年4月14日木曜日

メキシコ 世界遺産、歴史的要塞都市カンペチェの景観

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➛カンペチェは、メキシコ湾岸にある都市で、スペインの植民地だった時代に、海賊などから町を守るために築かれた城壁や防衛施設が残されています。
サンセット
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城壁

➛フランシス・ドレイクをはじめとするイギリス人やオランダ人たちの海賊たちが、ほとんど160年もの間、恒常的に攻撃をしていたため、1686年に当局は市の防衛力増強に着手しました。
城壁

➛フランス人技師によって、壁と都市を囲んでいる防衛建造物群を完成、カンペチェの中心市街を取り囲む不規則な六角形の市壁は、長さ 2560m に及び、それぞれの角には防衛上の拠点が置かれていました。
防護壁

大聖堂

政府宮殿

➛城壁には中心市街に至る4つの門があって、正門といえるのが「大地の門」(1732年建造)と「海の門」です。
大地の門

旧市街から大地の門

海の門

サンフアンデディオス教会

市場

➛市内を守る要塞は、近隣の2つの丘にもありました。サン・ホセ・エル・アルト要塞(1762年建造)とサン・ミゲル要塞で、これらの要塞が具えている大砲の射程は長く、見張りにも使われていました。
サン・ホセ・エル・アルト要塞

サン・ミゲル要塞