2014年2月11日火曜日

混乱続くエジプト「国家再建」進まず 革命から3年


2014年1月25日、エジプト民主化の扉を開いた「エジプト革命」から3年が経ちました。強権支配や貧困がはびこる社会を変えたいーー。革命の背景にあったのは、社会変革を切望する若者の厳しい生活環境です。彼らは大規模デモによって新政権の樹立を実現しましたが、国家の混乱は今なお続いています。エジプトの民主化は失敗に終わったのでしょうか? 革命からの3年間を振り返ります。

ジャスミン革命が波及、独裁政権に幕
近年、アラブ世界に広がる大規模な反政府デモは、チュニジア共和国の「ジャスミン革命」に端を発します。2010年12月、独裁政権への不満を募らせた若者たちは、警察に虐待された失業青年の焼身自殺を機に大規模な反政府デモを実施。23年続いた長期政権を崩壊に導きました。
ジャスミン革命の影響はエジプトにも波及します。当時のエジプトは、独裁者とその支持者が富を独占する一方、貧困層が人口の4割、若者の失業率が3割以上という格差社会。この構造は、公安警察が国民の言論を監視・抑圧することによって支えられていました。警察国家への不満を高めた若者たちは「パンと自由」を求め、2011年1月25日に反政府デモを計画。Facebookに参加を呼びかける投稿が掲示されると、連日、数万、数十万、数百万という規模の若者が結集し、彼らはホスニー・ムバラク政権に退陣を迫りました。迎えた2011年2月11日、ムバラク大統領は辞任を表明。全権を軍に委譲し、30年にわたる独裁政権の幕を閉じました。

混乱続きモルシ大統領への不満募る
ところが独裁政権崩壊後、革命を進めた若者たちは、自由を求めるリベラル層とパンを求めるイスラム組織に分裂していきます。リベラル層の主流派は政治と距離を置き、デモを通じて主張を通す方法を選択。一方、貧困救済等の活動を進めるイスラム組織「ムスリム同胞団」は「自由公正党」を結成。11月の議会選挙で貧困層の支持を集めて第一党に上り詰めたほか、2012年6月には軍出身候補を抑え、同胞団出身のムハンマド・モルシ氏を大統領選出に導きます。
しかし、ムルシ大統領は国民の期待に応えることはできませんでした。大統領就任後、治安が急速に悪化したほか、外貨獲得の失敗、食料品価格の高騰、失業率の上昇などが重なり、混乱に陥るエジプト国内。経済が停滞し、生活の改善を実感できない若者たちは、モルシ大統領に厳しい声を浴びせるようになります。ところが、モルシ大統領は彼らの声に耳を傾けず、自らの権限を大幅に強化する「大統領令」を発表。当然、独裁的な権力掌握と見なす野党からの強い反発や若者の全国的な抗議行動を引き起こし、大統領令は撤回を余儀なくされます。

クーデターで政権崩壊、国家再建振り出しに
政権発足から1年を迎えた2013年6月。経済低迷の長期化と強権的な大統領の政治姿勢に対する抗議として、若者たちはモルシ氏の退陣を求めた大規模なデモを実施。集まったデモ隊の数は全国で1400万人とも言われています。モルシ氏は大統領辞任を拒否するものの、エジプト軍が7月に混乱収束の名目でクーデターを起こし、モルシ大統領の権限を剥奪。現憲法を停止し、「新たに大統領選および議会選挙が行われるまで、最高憲法裁判所長官が暫定国家元首を務めることになる」との見解を示し、騒動の沈静化を図りました。こうしてエジプトの国家再建は振り出しに戻ってしまったのです。
クーデター後、ムスリム同胞団支持者が「反クーデター」デモを続け、若者たちは「反ムスリム同胞団、反旧政権」に加え「反軍政」の声を上げています。ムスリム同胞団と若者の対立に乗じ、軍が言論統制やデモ規制を行い、強権を発動しようとしているように映るからです。とはいえ、政治混乱に疲れた若者の中には、秩序を求めて軍の介入を歓迎する声もあるため、事は複雑です。
2014年に入った現在もなお、混迷が続くエジプト社会。リベラル層とイスラム勢力が和解・連携し、混乱から脱出する日は果たして訪れるのでしょうか。
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