2013年7月10日水曜日

香川 高松市、4代目駅舎となる新高松駅及び市街地の見所

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➛新装なった高松駅ホームです。2001年(平成13年)5月13日、旧高松駅より西へ0.3km移転した位置に、4代目駅舎となる新駅ビルが使用を開始しました。
高松駅には、予讃線(瀬戸大橋線)・高徳線のほか、予讃線経由で土讃線の列車が乗り入れてきます。また、駅東方約200mに高松琴平電気鉄道(ことでん)琴平線の高松築港駅があります。
5番ホームに停車するマリンライナー(Wikipediaより)
➛オススメ動画 思い出の国鉄(宇高航路)

香川 高松市(高松城 栗林公園 石清尾八幡宮 屋島)
Wikiloc ツアー一覧(後順)
空から街並み拝見(Google Earth)

➛高松駅及び駅前の風景です。
もともと高松駅前はバスなどの行き交う広い場所を有していましたが、現在の新駅はビルの立ち並ぶ整備された空間として賑わっているようです。
➛高松駅

➛駅に隣接する全日空ホテルクレメント高松

➛全日空ホテルクレメント高松より展望、瀬戸内海と背景に屋島

➛高松駅前の高松城は、高松市玉藻町にあった城で、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされ、城跡一帯を玉藻公園として親しまれています。
➛高松駅前の玉藻公園

➛高松城の城郭形式は輪郭式平城で、本丸を中心に二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、3重に堀が廻らされていました。 かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、外濠・中濠・内濠の全てに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が出入りできるようになっており、水軍の運用も視野に入れ設計されていた日本初の本格的な海城です。
➛高松城

➛高松城は、天正16年(1588年)生駒親正により築城を開始、天正18年(1590年)完成しました。その後、寛永19年(1642年)松平頼重が12万石で入封、城の整備に着手し、2代・頼常にも改修が引き継がれました。
水門と渡櫓(wikipedia より)

➛高松城 月見櫓

➛高松駅近くの赤灯台

➛北浜alley

➛高松駅近くのうどん店

➛本州と四国を結ぶ幹線交通路として重用されてきた宇高連絡船は、1988年(昭和63年)4月10日、本四備讃線(瀬戸大橋線)が開業したことから、1990年(平成2年)3月に休止、翌年3月に廃止となりました。
宇高連絡船 阿波丸(Wikipediaより)

➛連絡船の最盛期、着岸港である宇野駅と高松駅では、連絡船接続列車の座席を確保するために、船から降りた多くの乗客が列車まで凄まじいスタートダッシュをかけることが有名でした(俗にいう「四国三大走り」宇野駅、高松駅、窪川駅で、接続列車やバスに向けて乗客たちが先を争うことで有名でした)。
宇高連絡船 伊予丸(Wikipediaより)

宇高連絡船 讃岐丸(Wikipediaより)

宇高連絡船 土佐丸(Wikipediaより)

➛宇高連絡船の追憶として、連絡船デッキで販売されていた讃岐うどんがしばしば挙げられます。香川県民をはじめとする四国の人々に帰郷を実感させる味であり、そのため、帰省シーズンには展望デッキの上で潮風にふかれながらこれを食する人が大勢いました。高松駅構内には当時の連絡船のうどんを参考に味の再現を図った「連絡船うどん」の店があります。
「連絡船うどん」の店(Wikipediaより)

➛高松琴平電気鉄道 高松築港駅

➛高松の中央通りは、高松駅前の玉藻交差点から栗林公園前交差点に至る、全長約2.4kmにおける国道の愛称で、文字通り、高松市の中央を南北に貫くメインストリートとして日本の道100選に選定されています。
中央通り 高松駅前方面へ(Wikipediaより)

➛中央通りは、高松市のメインストリートであるほかに、沿線は四国地方の経済を支える有数のオフィス街であり、高層ビルが林立しています。
中央通り 天神前周辺(Wikipediaより)


➛香川県庁


➛高松市役所

➛丸亀町商店街

➛南新町商店街

➛栗林公園(Wikipediaより)

➛栗林公園にて

➛栗林公園の桜

➛麓から見た屋島

➛四国村 旧丸亀藩御用蔵

➛四国村 旧中石家住宅と染が滝

➛屋島寺

➛屋島東側から望む源平古戦場跡

2013年6月30日日曜日

インド 世界遺産、デリー首都圏の景観

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➛名所・史跡を投稿画像で紹介。
➛デリーはインド北部の大都市圏で、同国の商業・工業・政治の中心地の1つです。デリー首都圏を構成し、ニューデリーとオールドデリーに分けられ、ニューデリーの中にはニューデリー行政区があり、ここに連邦の首都機能があります。古くは現在のオールドデリーだけの町でしたが、イギリス統治下の新しい首府としてニューデリーが建設されました。
ティラックブリッジ駅の風景
➛オススメ動画 「Delhi」

➛Wikiloc ツアー インド デリー(赤い城 ジャーマー・マスジッド インド門)
joy555 trails
Wikiloc ツアー一覧(後順)
空から街並み拝見(Google Earth)

デリーの街の風景

➛赤い城のラホリー門は、西側にある正門で城内から見てラホールの方向にあるのでこう呼ばれます。
➛ラホリー門

➛ザファールマハル

➛「真珠モスク」モーティー・マスジドは、皇帝アウラングゼーブの建造した大理石のモスクです。
➛モーティー・マスジド

➛ディワーニ・カースは、貴賓謁見殿です。
➛ディワーニ・カース

→赤い城は、インドのデリーにあるムガール帝国時代の城塞でデリー城ともいわれ、2007年にユネスコの世界遺産に登録されてました。皇帝シャー・ジャハーンが、自らの名を冠した新都シャージャハナバードにおける居城として築き、赤い色は建材として用いられた赤砂岩のものです。
赤い城

→ジャーマー・マスジッドは、タージ・マハルを建造したムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンによって立案され、1656年に竣工しました。シャー・ジャハーンは、他にもデリー各所やアーグラ、アジメール、ラホールに主要なモスクを建立しています。
ジャーマー・マスジッド

➛チャウリーバザー

➛街並み

➛ニューデリー駅

セントラルパーク

デーリーメトロ

→ジャンタル・マンタルは、インド・ジャイプルにある天文台で、天文学者でもあったマハラジャ、ジャイ・スィング2世によって1728~1734年に建てられました。ちなみに、ジャイ・スィング2世は、ジャイプルのほかにも、デリーやヴァラナシなどにも天文台を建設しています。
デリーのジャンタル・マンタル

デリーのジャンタル・マンタル

ジャイプルのジャンタル・マンタル

ピピカナンダ通りの風景

→ラクシュミーナーラーヤン寺院は、デリーにあるヒンドゥー教寺院で、ヴィシュヌ神の化身ナラヤンと、その妻、美と幸運と繁栄の神ラクシュミーを祭っており、1938年以来、インド有数の大財閥であるビルラ財団によって管理運営されています。
ラクシュミーナーラーヤン寺院

シーク寺院

シーク寺院の内部

インド門

→フマーユーン廟は、インド・デリーにあるムガル皇帝フマーユーンの廟で、その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えました。世界遺産に登録されています。
フマーユーン廟

→フマユーン廟は、ドームやアーチといったペルシャ風の建築様式に柱や梁といったヒンドゥーの建築法が取り入れられたインド特有の建築様式をはじめて完成の域にしたてたもので、建築者は、16世紀にインド最大のイスラーム王朝をうちたてたムガル帝国です。
隣接するイサ・カーン廟

ロディガーデンズ

→アクシャルダム寺院は、ヒンドゥー教の寺院で、グジャラート州ガンディーナガルにある寺院とは、宗派を同じくする同系の寺院です。2007年に「世界一大きなヒンドゥー教寺院」として、ギネスブックに掲載されました。祭神はヴィシュヌ派の聖人スワミナラヤンです。
アクシャルダム寺院

アクシャルダム寺院の夜景

ロータス寺院

➛ロータス寺院の夜景

→世界遺産のクトゥブ・ミナールは、インド・デリーにあるミナレットで、奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられたものです。ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっています。
クトゥブ・ミナール

→クトゥブ・ミナールとその建造物群にあるデリーの鉄柱は、99.72%という高純度鉄で作られており、表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれています。直径は約44cm、高さは約7m、地下に埋もれている部分は約2mあります。
デリーの鉄柱

表面に刻まれたサンスクリットの碑文