➛Google Map
➛坂本龍馬、脱藩の道.com の資料をもとに、龍馬ゆかりの場所など、投稿写真を含め纏めてみました。
➛龍馬を英雄へと導いた「坂本龍馬脱藩の道」は、土佐の高知から梼原、伊予の大洲・長浜、そして長州の下関へと至る道のりです。最終目的地は、下関の白石正一郎邸です。この脱藩の道は、龍馬が脱藩するとき、高知から下関まで同行した沢村惣之丞(さわむら そうのじょう)の口述を記録した文書に基づいて、愛媛龍馬会の阪本孝之氏、福井清氏、村上恒夫氏が解明され、村上恒夫氏によって「坂本龍馬脱藩の道を探る」と「歩いてみよう坂本龍馬脱藩の道」が出版されました。
➛高知 土佐の高知のはりまや橋、高知城、そして坂本竜馬
➛山口 萩往還(萩~防府)53kmの道のり
➛山口 維新の故郷、萩の史跡
➛オススメ動画 坂本龍馬脱藩の道-1~
➛坂本龍馬、脱藩の道
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➛Wikiloc ツアー一覧(後順)
➛空から街並み拝見(Google Earth)
➛坂本龍馬誕生地が、「坂本龍馬脱藩の道」のスタート地点です。現在の高知市上町一丁目。文久2年(1862年)3月24日、龍馬は自宅を出発。
➛坂本龍馬誕生地(スタート地点)
➛坂本龍馬の四代前の先祖になる坂本直益が建てた和霊神社。龍馬が脱藩するとき、この神社に参拝して高知を出た。
➛和霊神社
➛佐川龍馬海援隊が有志らとともに平成10年朽木峠越えの道沿いに公園を完成させた。ここに小さな佐川龍馬神社もある。
➛佐川龍馬公園
➛佐川龍馬神社
➛文久2年(1862年)3月25日、坂本龍馬は佐川の斗賀野から土佐国内最大の難所「朽木峠」を越えたものと思われる。
➛朽木峠
➛土佐の脱藩第一号は、吉村虎太郎である。津野山郷芳生野(現在、津野町)の庄屋に生まれた。
➛吉村虎太郎像
➛文久2年(1862年)3月25日、梼原に着いた坂本龍馬と沢村惣之丞は、那須俊平・信吾の家に宿泊した。
➛那須俊平・信吾邸跡の墓所
➛平成7年、旧和田城跡の高台に、「維新の門」と名付けられた八志士の群像が建立された。六志士に坂本龍馬、沢村惣之丞を加えた群像である。
➛維新の門
➛四国高知 龍馬ふるさと博は2012年3月31日まで。坂本龍馬脱藩の道や維新の道、梼原が輩出した幕末の六志士などの紹介や資料映像などを展示。時間:8:30~17:30、入場料:大人200円・小中学生100円。
➛ゆすはら維新の道社中
➛坂本龍馬と沢村惣之丞は、道中最大の難所・大越峠を越え、四万川の「宮野々関」を過ぎた。
➛宮野々関所跡
➛文久2年(1862年)3月26日昼頃、土佐と伊予の国境「韮ヶ峠」に、坂本龍馬、沢村惣之丞、那須俊平、那須信吾の4人は着いた。
➛韮ヶ峠
➛龍馬が飲んだと言い伝えられる白滝の水。この公園には、休憩場所とトイレがある。
➛男水自然公園
➛長い上り坂の途中に、大自然に囲まれた民家のような宿があります。それが坂本龍馬脱藩の宿です。
➛坂本龍馬脱藩の宿
➛龍馬がここを通ったのは、文久2年(1862年)3月26日午後2時頃であったと思われる。この峠に小さい石碑があり「坂本竜馬の通りし道」俳優 武田鉄矢とある。
➛榎ヶ峠
➛平成元年、国木に「夜明けの道」の記念碑が建設された。坂本龍馬脱藩の道を解明された村上恒夫先生の名が刻まれている。
➛「夜明けの道」記念碑
➛屋根のある橋「御幸の橋」は、安永2年(1773年)に造られたといわれ、龍馬が通るよりも、90年ほど前から架けられていた。
➛御幸の橋
➛御幸の橋から約3kmのところに「坂本龍馬脱藩之日記念館」がある。山深い河辺の地形をリアルな模型で再現されていて、龍馬がたどった榎ヶ峠から泉ヶ峠に至る道を光ファイバーで案内されている。
➛坂本龍馬脱藩之日記念館
➛三杯谷の滝は、旧街道から100メートルほど上流にある。かつてはよじ登るようにして行かなければならなかったが、その後、歩道が整備され、竜神橋という屋根橋もできて、観光名所となっている。
➛三杯谷の滝
➛文久2年(1862年)3月26日、坂本龍馬、沢村惣之丞、那須俊平の3人は、その夜泉ヶ峠に着き、脱藩後、伊予路での第一夜を過ごした。
➛泉ヶ峠
➛坂本龍馬と沢村惣之丞は、亀ノ甲から舟に乗った。これから先、長浜までは舟の旅である。そして、道案内人の那須俊平は、土佐へと引き返している。
➛亀ノ甲
➛坂本龍馬と沢村惣之丞の乗った舟は正午頃大洲に着き、志保町あたりで昼食をとったと思われる。
➛志保町
➛大洲藩と坂本龍馬に関わる貴重な資料(いろは丸購入契約書や西街道航路絵図など)をパネル化。また、坂本龍馬脱藩の道の行程図を拡大したものなどを展示。
➛大洲歴史探訪館
➛坂本龍馬と沢村惣之丞は、再び舟に乗って肱川を下った。やがて前方に小高い山が見える。大洲城である。龍馬は、4年後にこの藩に蒸気船を買わせ、自らが乗ってこれを沈没させてしまう。
➛大洲城
➛長浜は肱川の河口に開けた町である。肱川を下った川舟は、「江湖」と呼ばれる舟だまりに着く。
➛長浜・江湖
➛脱藩後2日目、四国路の最後の夜を、坂本龍馬と沢村惣之丞は、長浜の富屋金兵衛邸で過ごした。富屋金兵衛は代々紺屋を営む豪商で、商売のかたわら、勤王派志士達を援助していた。
➛富屋金兵衛邸
➛上関は、古くから水運の要所となり、海路の中継地として栄えた。
➛上関
➛3月29日の夜、三田尻(山口県防府市)に着いた。ここは長州、勤王派の国である。船を下りて陸に上がった坂本龍馬と沢村惣之丞は顔を見合わせてうなずき、脱藩に成功したことを実感したことであろう。
➛三田尻
➛下関の回船問屋・白石正一郎方、ここが脱藩の道の最終地点である。文久2年(1862年)3月24日高知を出発して以来、8日間の旅は終わった。
➛白石正一郎邸跡
2015年2月4日水曜日
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