➛Google Map
➛マダガスカルは、東アフリカのインド洋に浮かぶマダガスカル島を領土とする共和制国家で、島の長さは約1,570km、最大幅約580kmで世界第4位の大きさを持つ島です。
17世紀初頭、マダガスカル中央高原にはペツィレゥ諸王国、メリナ王国、東南部のアンテムル王国、などが乱立、互いに狭い領域を支配している小国でした。
➛バオバブ並木
➛オススメ動画 マダガスカル島 アンタナナリボ la capitale Antananarivo
➛写真は、バオバブ並木-西部のモルンダバ近郊にある、貴重な観光資源であるバオバブの木です。
➛バオバブ並木
➛写真は、剃刀のような尖った岩が多数並ぶ特異な景観が広がっているツィンギ・デ・ベマラ厳正自然保護区です。石灰岩のカルスト台地が数万年かけて侵食され形成したもので、降水があっても尖った岩と岩との隙間に吸収されてしまうため、植物は乾燥に強い珍しい種類のものが多数自生しています。
➛ツィンギ・デ・ベマラ厳正自然保護区
➛ツィンギ・デ・ベマラ厳正自然保護区
➛1895年、フランスがメリナの王宮の置かれていたアンタナナリヴを占領したことで、1896年にフランス政府は正式にマダガスカルを植民地としたことを宣言、1960年6月、マダガスカルは正式に完全独立を宣言しました。
➛首都アンタナナリヴの中央駅
➛首都アンタナナリヴの街の中心は、独立大通りで官公庁などの政府関係の建物が立ちます。大通りの南には「アヌシ湖」があって、周囲に緑地が広がります。
➛アンタナナリヴのルマルケ中央の風景
➛独立大通り
➛Analakely 市場
➛町並み
➛アヌシ湖
➛アヌシ湖
➛市場
➛独立大通りの先、中心から南東方面に4kmほどの丘の上には、メリナ王国時代に立てられた女王宮があります。1794年、メリナ王国の首都がアンタナナリボ遷都後、女王のための別荘がこの丘の要塞内部に設けられました。
➛女王の宮殿
➛ロイヤルの墓
➛総理大臣の宮殿
➛Faravohitra 教会
➛アンブヒマンガの丘の王領地は、マダガスカルを最初に統一したメリナ王国の王宮跡が登録された世界遺産です。
➛メリナ王国の王宮跡
➛アンブヒマンガは、マダガスカル語で「青い丘」、「美しい丘」の意味で、丘の上のロヴァ(Rova)には王宮跡とそれを取り囲む要塞跡が残り、現在では博物館として公開されています。
➛王領地の門
➛マダガスカルの生物
➛マダガスカルの生物
➛マダガスカルの生物
2011年3月30日水曜日
2011年3月28日月曜日
レバノン 首都ベイルートと世界遺産のバールベック遺跡
➛Google Map
➛レバノンは、西アジア・中東の国で首都はベイルートです。シリアとは北東に接し、イスラエルの北に位置し、西は地中海に面しており、過去には「中東のパリ」ともよばれました。
➛ベイルート市街
➛オススメ動画 Beirut
➛古代はフェニキア人の故地で、この地からフェニキア人は地中海を渡り植民地を形成しました。その後勢力が弱体化し、アッシリア帝国に飲み込まれ、その後、民族としてのフェニキア人は消滅したと言われています。古代末期にはローマ帝国に征服され、中世にはイスラム世界に組み込まれています。
➛大統領官邸
➛ローマンバス遺跡
➛ローマンバス遺跡庭園
➛宗教においても、国民の約30%がキリスト教、約70%がイスラム教の信者で、「キリスト教」はマロン派が多数派ですが、正教会、プロテスタント、ラテン典礼のカトリックなどもあります。
➛セントジョージマロン大聖堂
➛時計塔
➛モハメドエル-アミンモスク
➛現代レバノン史は1918年のフランスの占領とともに始まり、第二次世界大戦中の1941年9月27日にシリアが、同年11月26日にレバノンが独立を布告しました。
➛Ain Mreisseh
➛政治では、憲法により、宗派ごとに政治権力を分散する体制が取られており、国会の議員数も各宗派人口数に応じて定められ、大統領はマロン派、首相はスンナ派、国会議長はシーア派から選出されるのが慣例となっています。
➛ハムラ地区の町並み
➛現代における内戦後の経済復興を進めるレバノン政府は、ベイルートを再び観光地として売り出す計画を進めていますが、周辺諸国との関係を含めて容易でない様相です。
➛イスラエルの爆撃の跡(1996年)
➛レバノン大学
➛レバノン大学殉教者記念碑付近
➛バールベックは、レバノンの東部に位置し、首都ベイルートの北東約85km、ベカー高原の中央にある古代遺跡で、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
➛バールベックの遺跡
➛バールベックは、旧約聖書に登場するカインが築いたと伝えられる古い歴史をもつ町です。フェニキア時代は、豊かな土地に根づいた農耕に結びつく土着信仰の中心地で、ローマ人が200年を超える歳月をかけて神殿を築き上げました。
➛バールベックの遺跡
➛これらは、フェニキアの豊穣の神バールに由来しており、天地創造の最高神ジュピター(ユピテル)、酒神バッカス、美と愛の女神ビーナスを祀った3つの神殿で構成されています。
➛バールベックの遺跡
➛ジュピター神殿は、バールベックで最初に建てられた最高神ジュピターを祀る神殿で、アウグストゥス帝時代に建設が始められ、ネロ皇帝の時代に完成しました。東西の伝統が混ざり合ったヘレニズム期の代表作でもあります。現在は、バールベックのシンボルともなっている巨大な6本の柱を残すのみですが、これらの柱だけでも存在感はたいへんなものです。
➛ジュピター神殿 6本大列柱
➛バッカス神殿は、バールベックの神殿域の南西に建つ酒神バッカスを祀る神殿で、ジュピター神殿ほどの規模はありませんが、屋根以外はほぼ原形をとどめており、各地に現存するローマの神殿の中でも保存状態が最も良いといわれています。
➛バッカス神殿
➛レバノンは、西アジア・中東の国で首都はベイルートです。シリアとは北東に接し、イスラエルの北に位置し、西は地中海に面しており、過去には「中東のパリ」ともよばれました。
➛ベイルート市街
➛オススメ動画 Beirut
➛古代はフェニキア人の故地で、この地からフェニキア人は地中海を渡り植民地を形成しました。その後勢力が弱体化し、アッシリア帝国に飲み込まれ、その後、民族としてのフェニキア人は消滅したと言われています。古代末期にはローマ帝国に征服され、中世にはイスラム世界に組み込まれています。
➛大統領官邸
➛ローマンバス遺跡
➛ローマンバス遺跡庭園
➛宗教においても、国民の約30%がキリスト教、約70%がイスラム教の信者で、「キリスト教」はマロン派が多数派ですが、正教会、プロテスタント、ラテン典礼のカトリックなどもあります。
➛セントジョージマロン大聖堂
➛時計塔
➛モハメドエル-アミンモスク
➛現代レバノン史は1918年のフランスの占領とともに始まり、第二次世界大戦中の1941年9月27日にシリアが、同年11月26日にレバノンが独立を布告しました。
➛Ain Mreisseh
➛政治では、憲法により、宗派ごとに政治権力を分散する体制が取られており、国会の議員数も各宗派人口数に応じて定められ、大統領はマロン派、首相はスンナ派、国会議長はシーア派から選出されるのが慣例となっています。
➛ハムラ地区の町並み
➛現代における内戦後の経済復興を進めるレバノン政府は、ベイルートを再び観光地として売り出す計画を進めていますが、周辺諸国との関係を含めて容易でない様相です。
➛イスラエルの爆撃の跡(1996年)
➛レバノン大学
➛レバノン大学殉教者記念碑付近
➛バールベックは、レバノンの東部に位置し、首都ベイルートの北東約85km、ベカー高原の中央にある古代遺跡で、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
➛バールベックの遺跡
➛バールベックは、旧約聖書に登場するカインが築いたと伝えられる古い歴史をもつ町です。フェニキア時代は、豊かな土地に根づいた農耕に結びつく土着信仰の中心地で、ローマ人が200年を超える歳月をかけて神殿を築き上げました。
➛バールベックの遺跡
➛これらは、フェニキアの豊穣の神バールに由来しており、天地創造の最高神ジュピター(ユピテル)、酒神バッカス、美と愛の女神ビーナスを祀った3つの神殿で構成されています。
➛バールベックの遺跡
➛ジュピター神殿は、バールベックで最初に建てられた最高神ジュピターを祀る神殿で、アウグストゥス帝時代に建設が始められ、ネロ皇帝の時代に完成しました。東西の伝統が混ざり合ったヘレニズム期の代表作でもあります。現在は、バールベックのシンボルともなっている巨大な6本の柱を残すのみですが、これらの柱だけでも存在感はたいへんなものです。
➛ジュピター神殿 6本大列柱
➛バッカス神殿は、バールベックの神殿域の南西に建つ酒神バッカスを祀る神殿で、ジュピター神殿ほどの規模はありませんが、屋根以外はほぼ原形をとどめており、各地に現存するローマの神殿の中でも保存状態が最も良いといわれています。
➛バッカス神殿
2011年3月23日水曜日
シリア 世界遺産、クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン
➛Google Map
➛世界遺産に登録されている二つの城は、シリアに築かれた十字軍時代の代表的な城で、当時の築城技術の粋を究めたものと評価されています。十字軍時代は聖ヨハネ騎士団の本拠であり、名前は「騎士の砦」を意味します。
➛クラック・デ・シュヴァリエ
➛オススメ動画 Krak des Chevaliers
➛城はトリポリの東に位置した高さ650m程の峰に築かれており、アンティオキアからベイルートへ向かう海沿いの道や、内陸から地中海に出る唯一の通路(ホムスとタルトゥースの間の峠道)を占めています。
➛クラック・デ・シュヴァリエ
➛聖ヨハネ騎士団の大規模な拡張で、コンセントリック(集中)型の城として、30mの厚さの外壁を加え、8~10mの壁厚の7つの守備塔を配置、12世紀の頃には濠も有しており、跳ね橋が取り付けられていました。
➛クラック・デ・シュヴァリエ
➛内部の建築物は騎士団によりゴシック調に改造されており、ホールや礼拝堂を備え、長さ120mの食糧貯蔵庫を有し、さらに、もう1つの貯蔵庫が地下に掘られており、5年間の包囲に耐えうると考えられていました。
➛クラック・デ・シュヴァリエ
➛周囲にはサフィータ、タルトゥースなどテンプル騎士団の要塞、および聖ヨハネ騎士団の別の主要要塞マルガット城も位置し、十字軍国家による防衛網をなしています。
➛サフィータの塔
➛タルトゥースのマルガット城
➛カラット・サラーフ・アッディーンは、シリアに築かれた十字軍時代の代表的な城で、シリアの港湾都市ラタキアの30km東の山中にあり、二つの深い渓谷に挟まれた峰の上に建ち、森に囲まれています。
➛カラット・サラーフ・アッディーン
➛カラット・サラーフ・アッディーン城壁
➛濠の下から見た跳ね橋
➛世界遺産に登録されている二つの城は、シリアに築かれた十字軍時代の代表的な城で、当時の築城技術の粋を究めたものと評価されています。十字軍時代は聖ヨハネ騎士団の本拠であり、名前は「騎士の砦」を意味します。
➛クラック・デ・シュヴァリエ
➛オススメ動画 Krak des Chevaliers
➛城はトリポリの東に位置した高さ650m程の峰に築かれており、アンティオキアからベイルートへ向かう海沿いの道や、内陸から地中海に出る唯一の通路(ホムスとタルトゥースの間の峠道)を占めています。
➛クラック・デ・シュヴァリエ
➛聖ヨハネ騎士団の大規模な拡張で、コンセントリック(集中)型の城として、30mの厚さの外壁を加え、8~10mの壁厚の7つの守備塔を配置、12世紀の頃には濠も有しており、跳ね橋が取り付けられていました。
➛クラック・デ・シュヴァリエ
➛内部の建築物は騎士団によりゴシック調に改造されており、ホールや礼拝堂を備え、長さ120mの食糧貯蔵庫を有し、さらに、もう1つの貯蔵庫が地下に掘られており、5年間の包囲に耐えうると考えられていました。
➛クラック・デ・シュヴァリエ
➛周囲にはサフィータ、タルトゥースなどテンプル騎士団の要塞、および聖ヨハネ騎士団の別の主要要塞マルガット城も位置し、十字軍国家による防衛網をなしています。
➛サフィータの塔
➛タルトゥースのマルガット城
➛カラット・サラーフ・アッディーンは、シリアに築かれた十字軍時代の代表的な城で、シリアの港湾都市ラタキアの30km東の山中にあり、二つの深い渓谷に挟まれた峰の上に建ち、森に囲まれています。
➛カラット・サラーフ・アッディーン
➛カラット・サラーフ・アッディーン城壁
➛濠の下から見た跳ね橋
2011年3月21日月曜日
ノルウェー 世界遺産、ノルウェー南部の木造教会など
➛Google Map
➛ウルネスの木造教会は、ノルウェー王国ソグン・オグ・フョーラネ県にあって、1979年に文化遺産として登録された木造の教会堂です。ソグネフィヨルドから奥まった入り江にあるルストラフィヨルドの崖120mに立っています。石材が乏しいために木造で釘やネジを使用しないヴァイキングの建築法を用いたスターヴィルゲという独特の工法で建てられています。
➛ウルネスの木造教会
➛オススメ動画 NORWAY - Powered by Nature
➛背景にルストラフィヨルド
➛ウルネスの木造教会の入口と北側に面している壁面には、古典的なウルネス様式の蔓のような装飾が施されています。図像学的に、これらの蔓用の装飾が意味するものとは、善と悪の永遠なる戦いであることを意味します。キリスト教的図像学において、ライオンはキリストを意味し、サタンを一般に意味する蛇と闘っていると考えられています。
➛ウルネスの木造教会の装飾
➛ルストラフィヨルド
➛Solvorn から Urnes へのフェリー
➛Kaupanger の木造教会
➛ボルグンのスターヴ教会
➛Lom の木造教会
➛Ringebu の木造教会
➛スターヴ教会と呼ばれている独特な木造教会は、1100年から1300年にかけて約1,000ものスターヴ教会が建てられましたが、現存しているものは30にも及びません。
➛Gol の木造教会
➛かつてスターヴ教会が北欧全域に建てられたことは考古学者によって明らかにされていますが、現在も残っているのはノルウェー南部だけです。
➛Heddal のスターヴ教会
➛Fantoft の木造教会
➛世界各地から大型観光船が訪れ、U字谷のソグネ・フィヨルドの景観を楽しみながら、約200kmを航行して湾奥のフロムに向かいます。
➛ルストラフィヨルドの港
➛ウルネスの木造教会は、ノルウェー王国ソグン・オグ・フョーラネ県にあって、1979年に文化遺産として登録された木造の教会堂です。ソグネフィヨルドから奥まった入り江にあるルストラフィヨルドの崖120mに立っています。石材が乏しいために木造で釘やネジを使用しないヴァイキングの建築法を用いたスターヴィルゲという独特の工法で建てられています。
➛ウルネスの木造教会
➛オススメ動画 NORWAY - Powered by Nature
➛背景にルストラフィヨルド
➛ウルネスの木造教会の入口と北側に面している壁面には、古典的なウルネス様式の蔓のような装飾が施されています。図像学的に、これらの蔓用の装飾が意味するものとは、善と悪の永遠なる戦いであることを意味します。キリスト教的図像学において、ライオンはキリストを意味し、サタンを一般に意味する蛇と闘っていると考えられています。
➛ウルネスの木造教会の装飾
➛ルストラフィヨルド
➛Solvorn から Urnes へのフェリー
➛Kaupanger の木造教会
➛ボルグンのスターヴ教会
➛Lom の木造教会
➛Ringebu の木造教会
➛スターヴ教会と呼ばれている独特な木造教会は、1100年から1300年にかけて約1,000ものスターヴ教会が建てられましたが、現存しているものは30にも及びません。
➛Gol の木造教会
➛かつてスターヴ教会が北欧全域に建てられたことは考古学者によって明らかにされていますが、現在も残っているのはノルウェー南部だけです。
➛Heddal のスターヴ教会
➛Fantoft の木造教会
➛世界各地から大型観光船が訪れ、U字谷のソグネ・フィヨルドの景観を楽しみながら、約200kmを航行して湾奥のフロムに向かいます。
➛ルストラフィヨルドの港
2011年3月17日木曜日
スリナム 世界遺産、パラマリボ市街歴史地区の景観
➛Google Map
➛スリナム共和国は、南アメリカの北東部に位置する共和制国家で、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海、大西洋に面しており、首都はパラマリボです。南アメリカで唯一のオランダ語を公用語とする国で、国土の大部分がギアナ高地にあり、面積、人口共に南アメリカで最小の独立国です。
➛大統領宮殿
➛オススメ動画 Paramaribo
➛旧市街の中核をなす白亜の壮麗な建造物である大統領宮殿は、18世紀前半に建造、その後多くの装飾や附属建造物が増築されました。宮殿とその後方にある私設庭園には、毎年11月25日の独立記念日にのみ、一般市民の見物が許されます。
➛宮殿の私設庭園
➛16世紀にオランダ、イギリス、フランス、スペインの探検家によって探検され、17世紀に入ってイギリス人とオランダ人が入植し、黒人奴隷を使用してタバコ栽培を行っていました。
➛財務省
➛議会
➛ゼーランディア要塞は、350年以上前にフランスによって建設されたもので、その後イギリス植民地時代に改造され、オランダのものになったあと、1667年に現在の名前がつきました。 一時はスリナム陸軍が基地として利用していましたが、1992年に軍が引き払ってからは、再び博物館として利用されています。
➛ゼーランディア要塞
➛ゼーランディア要塞
➛ゼーランディア要塞
➛役員住宅
➛ゼーランディア要塞から川に沿って古い町並みが続きます。 このウォーターサイド地区は1821年と1832年に街をおそった大火事で焼失し、 建物はそれ以後の再建で、街には白いレンガが敷き詰められています。
➛ウォーターサイド地区
➛スリナム川
➛パラマリボのスリナム川沿いの町並みには、オランダの名残である旧総督府、大聖堂(南米一の木造建築)、砦があり、パラマリボ市街歴史地区として世界遺産に登録されています。
➛大聖堂
➛大聖堂 内部
➛植民地時代の建物
➛モスク
➛スリナム川橋
➛スリナム共和国は、南アメリカの北東部に位置する共和制国家で、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海、大西洋に面しており、首都はパラマリボです。南アメリカで唯一のオランダ語を公用語とする国で、国土の大部分がギアナ高地にあり、面積、人口共に南アメリカで最小の独立国です。
➛大統領宮殿
➛オススメ動画 Paramaribo
➛旧市街の中核をなす白亜の壮麗な建造物である大統領宮殿は、18世紀前半に建造、その後多くの装飾や附属建造物が増築されました。宮殿とその後方にある私設庭園には、毎年11月25日の独立記念日にのみ、一般市民の見物が許されます。
➛宮殿の私設庭園
➛16世紀にオランダ、イギリス、フランス、スペインの探検家によって探検され、17世紀に入ってイギリス人とオランダ人が入植し、黒人奴隷を使用してタバコ栽培を行っていました。
➛財務省
➛議会
➛ゼーランディア要塞は、350年以上前にフランスによって建設されたもので、その後イギリス植民地時代に改造され、オランダのものになったあと、1667年に現在の名前がつきました。 一時はスリナム陸軍が基地として利用していましたが、1992年に軍が引き払ってからは、再び博物館として利用されています。
➛ゼーランディア要塞
➛ゼーランディア要塞
➛ゼーランディア要塞
➛役員住宅
➛ゼーランディア要塞から川に沿って古い町並みが続きます。 このウォーターサイド地区は1821年と1832年に街をおそった大火事で焼失し、 建物はそれ以後の再建で、街には白いレンガが敷き詰められています。
➛ウォーターサイド地区
➛スリナム川
➛パラマリボのスリナム川沿いの町並みには、オランダの名残である旧総督府、大聖堂(南米一の木造建築)、砦があり、パラマリボ市街歴史地区として世界遺産に登録されています。
➛大聖堂
➛大聖堂 内部
➛植民地時代の建物
➛モスク
➛スリナム川橋
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