➛Google Map
➛ブータンは、17世紀に移住したチベットの高僧ガワン・ナムゲルが、現在の国土をまとめました。19世紀末内戦状態にあったブータンの中で、東部トンサ郡の豪族ウゲン・ワンチュクが支配的郡長として抬頭し、1907年、初代の国王となり、現在の第5代国王に至る名実ともの立憲君主国です。
➛タシチョ・ゾン
➛オススメ動画 Bhutan (Shangri-La)
➛首都ティンプーにあるタシチョ・ゾンは、ブータンの政治と宗教を司る国の中央政庁です。ゾンの中には国王のオフィスと、宗教会の最高権威であるジェ・ケンポ大僧正の部屋があります。釘を一本も使わず、伝統的手法で建てられています。
➛タシチョ・ゾン
➛国立図書館には、ゾンカ語やチベット語の貴重な仏典があります。
➛国立図書館
➛メモリアル・チョルテンは、第三代国王のジグミ・ドルジ・ワンチュクの死後すぐに彼を讃えるために建設された仏塔で、独立100周年を記念して2008年に大規模な整備が行われました。
➛メモリアル・チョルテン
➛民俗博物館
➛民俗博物館
➛首都ティンプーを見下ろす丘の中腹に建設されている巨大な 仏陀です。
➛建設中の仏陀
➛マスク販売店
➛ティンプーの街
➛パロ・ゾン
➛パロ・ゾン
➛パロ・ゾン
➛国立博物館
➛「虎の巣」という意味のタクツァン僧院は、断崖絶壁にはりつくように建つその姿は見る者を圧倒します。ブータンに仏教を運んできたグル・リンポチェはその8つの変化のうちの一つである忿怒形に姿を変え、虎の背中に乗ってこの場所へやってきました。展望台まで片道約1時間半ほどの距離にあります。
➛タクツァン僧院
➛Zandok Peli 寺
➛プナカ・ゾン
➛インドとブータンの南の玄関口プンツォリンは、インド人とブータン人が行き交う賑やかな街です。インドとブータンの首都ティンプーを結ぶ国内最初の自動車道路は1962年に完成しました。
➛インド-ブータンの国境ゲート
➛プンツォリンの風景
➛Tags=Thimphu,Bhutan
2011年10月30日日曜日
2011年10月29日土曜日
キプロス トロードス地方の壁画聖堂群など三つの世界遺産
➛Google Map
➛キプロスの三つの世界遺産の一つ、「トロードス地方の壁画聖堂群、屋根の聖ニコラオス聖堂」は、トロードス山脈に残るギリシャ正教の9ないし11の聖堂と1つの修道院が対象となっており、いずれの聖堂・修道院も、ビザンティン様式の美しいフレスコ画が残っていることが評価されたものです。
➛アシィヌ聖堂のフレスコ画
➛オススメ動画 Beautiful CYPRUS, Κύπρος
➛アシィヌの生神女聖堂は、ニキタリ村に残る聖堂で、12世紀以降に描かれた様々なフレスコ画群が残っており、そのモチーフはイエス、生神女マリア、聖人、預言者など多彩で、新約聖書からとられた場面も多く描かれています。
➛アシィヌの生神女聖堂
➛屋根の聖ニコラオス聖堂は、カコペトゥリアの近郊にある聖堂で、もとは11世紀に建てられたものです。名称に「屋根」とついているのは、12世紀に付け加えられた玄関廊の切り妻屋根が印象的であることによります。
➛屋根の聖ニコラオス聖堂
➛蝋燭の聖イオアン修道院は、カロパナヨティス村にある修道院で、フレスコ画の残る3つの付属聖堂を持っています。
➛蝋燭の聖イオアン修道院
➛パナギィア・トゥ・アラカ教会は、ラグデラ村近隣にある12世紀に建てられた木造の教会で、ビザンチン帝国コムネノス朝のスタイルによるフレスコ画が美しい。
➛パナギィア・トゥ・アラカ教会
➛パナギィア・トゥ・アラカ教会にて
➛救世主顕栄聖堂は、Palaichori に残る聖堂で、2001年に世界遺産に拡大登録されました。急勾配の木造屋根を持つ独特の形状と、16世紀後半のビザンティン帝国滅亡後の壁画群が評価されました。
➛救世主顕栄聖堂
➛聖十字架聖堂は、ペレンドリ村に残る聖堂で、かつてキプロス王家のジャン(Jean)のものでした。
➛聖十字架聖堂
➛アンゲロクティスティ教会は、ラルナカの西11キロのキティ村にあって、「天使により建てられた」という意味を持つビザンチン教会です。6世紀に描かれた貴重な聖母マリアのモザイク画が残っています。
➛アンゲロクティスティ教会
➛キプロスの三つの世界遺産の一つ、「トロードス地方の壁画聖堂群、屋根の聖ニコラオス聖堂」は、トロードス山脈に残るギリシャ正教の9ないし11の聖堂と1つの修道院が対象となっており、いずれの聖堂・修道院も、ビザンティン様式の美しいフレスコ画が残っていることが評価されたものです。
➛アシィヌ聖堂のフレスコ画
➛オススメ動画 Beautiful CYPRUS, Κύπρος
➛アシィヌの生神女聖堂は、ニキタリ村に残る聖堂で、12世紀以降に描かれた様々なフレスコ画群が残っており、そのモチーフはイエス、生神女マリア、聖人、預言者など多彩で、新約聖書からとられた場面も多く描かれています。
➛アシィヌの生神女聖堂
➛屋根の聖ニコラオス聖堂は、カコペトゥリアの近郊にある聖堂で、もとは11世紀に建てられたものです。名称に「屋根」とついているのは、12世紀に付け加えられた玄関廊の切り妻屋根が印象的であることによります。
➛屋根の聖ニコラオス聖堂
➛蝋燭の聖イオアン修道院は、カロパナヨティス村にある修道院で、フレスコ画の残る3つの付属聖堂を持っています。
➛蝋燭の聖イオアン修道院
➛パナギィア・トゥ・アラカ教会は、ラグデラ村近隣にある12世紀に建てられた木造の教会で、ビザンチン帝国コムネノス朝のスタイルによるフレスコ画が美しい。
➛パナギィア・トゥ・アラカ教会
➛パナギィア・トゥ・アラカ教会にて
➛救世主顕栄聖堂は、Palaichori に残る聖堂で、2001年に世界遺産に拡大登録されました。急勾配の木造屋根を持つ独特の形状と、16世紀後半のビザンティン帝国滅亡後の壁画群が評価されました。
➛救世主顕栄聖堂
➛聖十字架聖堂は、ペレンドリ村に残る聖堂で、かつてキプロス王家のジャン(Jean)のものでした。
➛聖十字架聖堂
➛アンゲロクティスティ教会は、ラルナカの西11キロのキティ村にあって、「天使により建てられた」という意味を持つビザンチン教会です。6世紀に描かれた貴重な聖母マリアのモザイク画が残っています。
➛アンゲロクティスティ教会
2011年10月23日日曜日
パラオ ミクロネシア地域の200の島からなるパラオの景観
➛Google Map
➛パラオ共和国は、太平洋上のミクロネシア地域の島々(200程度)からなる国で、首都はマルキョク州で、2006年10月7日に旧首都コロールから遷都しました。首都マルキョクは、旧首都であるコロールとは海を挟み KBブリッジで結ばれ、約25キロメートルの距離にあります。
➛議会議事堂
➛オススメ動画 日本とパラオ ~歴史を越えた友情~
➛16世紀頃より、海運の進歩の結果ミクロネシア諸島にもヨーロッパ人が訪れるようになり、スペイン人が初めて渡来し、次いでポルトガル人、イギリス人がやってきました。1885年にスペインの植民地、1899年にはドイツの植民地となり、第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領になりました。
➛行政庁舎(大統領府)
➛KBブリッジ
➛日本の統治が始まってからは、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院、道路など各種インフラストラクチャーの整備も重点的に行われ、1920年代頃になるとコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌していきます。
➛パラオ国際博物館
➛パラオ太平洋リゾート
➛パラオ太平洋リゾート
➛南洋神社は、コロール島アルミズ高地にある神社で、第二次世界大戦中、当地が日本の統治下にあった時代に官幣大社として創建され、敷地は9万6248坪もある壮大なものでした。終戦後一度廃社されたが、1997年に日本の神社関係者によって小規模ながら再建されました。
➛旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿
➛1994年10月1日に、自由連合盟約国(コンパクト)として独立し、国連による信託統治が終了。同年に国際連合へも加盟し、信託統治領としては最後の独立となりました。
➛石貨
➛ガラスマオの滝は、バベルダオブ島にあるパラオ最大の滝で、落ちてくる水の量、滝自体の大きさ、これほどまでに絵になる滝もそう多くはありません。
➛ガラスマオの滝
➛アーチロック諸島
➛Tags=Melekeok,Republic of Palau
➛パラオ共和国は、太平洋上のミクロネシア地域の島々(200程度)からなる国で、首都はマルキョク州で、2006年10月7日に旧首都コロールから遷都しました。首都マルキョクは、旧首都であるコロールとは海を挟み KBブリッジで結ばれ、約25キロメートルの距離にあります。
➛議会議事堂
➛オススメ動画 日本とパラオ ~歴史を越えた友情~
➛16世紀頃より、海運の進歩の結果ミクロネシア諸島にもヨーロッパ人が訪れるようになり、スペイン人が初めて渡来し、次いでポルトガル人、イギリス人がやってきました。1885年にスペインの植民地、1899年にはドイツの植民地となり、第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領になりました。
➛行政庁舎(大統領府)
➛KBブリッジ
➛日本の統治が始まってからは、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院、道路など各種インフラストラクチャーの整備も重点的に行われ、1920年代頃になるとコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌していきます。
➛パラオ国際博物館
➛パラオ太平洋リゾート
➛パラオ太平洋リゾート
➛南洋神社は、コロール島アルミズ高地にある神社で、第二次世界大戦中、当地が日本の統治下にあった時代に官幣大社として創建され、敷地は9万6248坪もある壮大なものでした。終戦後一度廃社されたが、1997年に日本の神社関係者によって小規模ながら再建されました。
➛旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿
➛1994年10月1日に、自由連合盟約国(コンパクト)として独立し、国連による信託統治が終了。同年に国際連合へも加盟し、信託統治領としては最後の独立となりました。
➛石貨
➛ガラスマオの滝は、バベルダオブ島にあるパラオ最大の滝で、落ちてくる水の量、滝自体の大きさ、これほどまでに絵になる滝もそう多くはありません。
➛ガラスマオの滝
➛アーチロック諸島
➛Tags=Melekeok,Republic of Palau
2011年10月20日木曜日
イギリス 世界遺産、グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁など
➛Google Map
➛グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁は、イギリス・ウェールズにあるユネスコ世界遺産です。13世紀に建てられた4つの城の総称で、ウェールズ公国を征服したイングランド王エドワード1世によって建てられました。
コンウェイ城は、Clywd州コンウェイにある城で、1283年から1289年に建てられた城です。
➛コンウェイ城
➛オススメ動画 Castles and Town Walls of King Edward in Gwynedd
➛コンウェイ城
➛コンウェイの風景
➛ビューマリス城は、アングルシー島ビューマリスに位置し、1295年から建設されましたが未完成のまま現在に至っています。メナイ海峡を挟んで、ウェールズ抵抗運動の激しいGarth Celynに面するよう設計されました。
➛ビューマリス城
➛ビューマリス城
➛カーナーヴォン城は、ウェールズ北西グウィネズ州カーナーヴォンにある城で、1283年にウェールズを征服したイングランド王エドワード1世によって建設されました。
➛カーナーヴォン城
➛カーナーヴォン城
➛ウェールズハイランド鉄道
➛ハーレックス城は、グウィネズ州ハーレックスにある城で、1283年から1289年にかけ建てられました。15世紀にはウェールズ大公の末裔を名乗るオーウェン・グレンダワー軍がこの城に立てこもり、7年間イングランド軍に包囲されていた歴史があります。
➛ハーレックス城
➛ハーレックス城
➛ウェールズの首都に建つカーディフ城は、古代ローマ人の勢力範囲が最大に達しようとした西暦元年ごろ、上陸したローマ人がここにとりでを築いたのが城の歴史の始まりで、その後、ノルマン人(バイキング)の征服により、要塞としての重要性を取り戻し、12世紀には今も残るキープ(中世のとりで)が建てられました。
➛カーディフ城
➛カーディフ城
➛カーディフ中央駅
➛市庁舎
➛ブレナヴォンは、ウェールズ南東部にある町で、1788年に始まった製鉄業で成長した町です。その産業景観は世界遺産にも登録されています。
➛国立石炭博物館
➛テルフォード蒸気鉄道
➛Tags=Wales,UK
➛グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁は、イギリス・ウェールズにあるユネスコ世界遺産です。13世紀に建てられた4つの城の総称で、ウェールズ公国を征服したイングランド王エドワード1世によって建てられました。
コンウェイ城は、Clywd州コンウェイにある城で、1283年から1289年に建てられた城です。
➛コンウェイ城
➛オススメ動画 Castles and Town Walls of King Edward in Gwynedd
➛コンウェイ城
➛コンウェイの風景
➛ビューマリス城は、アングルシー島ビューマリスに位置し、1295年から建設されましたが未完成のまま現在に至っています。メナイ海峡を挟んで、ウェールズ抵抗運動の激しいGarth Celynに面するよう設計されました。
➛ビューマリス城
➛ビューマリス城
➛カーナーヴォン城は、ウェールズ北西グウィネズ州カーナーヴォンにある城で、1283年にウェールズを征服したイングランド王エドワード1世によって建設されました。
➛カーナーヴォン城
➛カーナーヴォン城
➛ウェールズハイランド鉄道
➛ハーレックス城は、グウィネズ州ハーレックスにある城で、1283年から1289年にかけ建てられました。15世紀にはウェールズ大公の末裔を名乗るオーウェン・グレンダワー軍がこの城に立てこもり、7年間イングランド軍に包囲されていた歴史があります。
➛ハーレックス城
➛ハーレックス城
➛ウェールズの首都に建つカーディフ城は、古代ローマ人の勢力範囲が最大に達しようとした西暦元年ごろ、上陸したローマ人がここにとりでを築いたのが城の歴史の始まりで、その後、ノルマン人(バイキング)の征服により、要塞としての重要性を取り戻し、12世紀には今も残るキープ(中世のとりで)が建てられました。
➛カーディフ城
➛カーディフ城
➛カーディフ中央駅
➛市庁舎
➛ブレナヴォンは、ウェールズ南東部にある町で、1788年に始まった製鉄業で成長した町です。その産業景観は世界遺産にも登録されています。
➛国立石炭博物館
➛テルフォード蒸気鉄道
➛Tags=Wales,UK
2011年10月12日水曜日
スペイン 世界遺産、ルーゴのローマ城壁
➛Google Map
➛ルーゴは、スペイン北西部の都市で、山で囲まれた盆地に位置しており、近くをミーニョ川が流れています。旧市街を取り囲むローマ時代の市壁が世界遺産に登録されています。
➛ローマ城壁と大聖堂
➛オススメ動画 Lugo
➛紀元3世紀終わりから4世紀始めのローマ帝国後期に、現在も残る市壁が建設されました。ルーゴはローマ時代以降は無人となり、中世初期に住んでいたのは聖職者だけだったという説もあります。
➛市壁と一体化した町並み
➛ローマ城壁の歩道
➛1129年、ロマネスク様式のカテドラルの建設が始まり、聖母マリアに捧げられ、中世後期には、サンティアゴ・デ・コンポステーラのように巡礼の中心地となりました。
➛大聖堂
➛大聖堂
➛司教館
➛ルーゴがこの地域で最も重要な都市となったのは、1833年に県制度が導入されてルーゴ県ができ、ルーゴが県都となってからのことです。
➛タウンホール
➛芸術サークル
➛夜の町並み
➛博物館
➛ルーゴの市壁は、ヨーロッパでも珍しく保存状態が良好で、欠けることなく街を360度取り囲んでいて、市壁の高さは10メートルから15メートルで、長さは2.5km、71の塔を持ちます。
➛ローマ城壁
➛ローマ城壁(ストリートビュー)
➛ローマ城壁
➛Tags=Lugo,Spain
➛ルーゴは、スペイン北西部の都市で、山で囲まれた盆地に位置しており、近くをミーニョ川が流れています。旧市街を取り囲むローマ時代の市壁が世界遺産に登録されています。
➛ローマ城壁と大聖堂
➛オススメ動画 Lugo
➛紀元3世紀終わりから4世紀始めのローマ帝国後期に、現在も残る市壁が建設されました。ルーゴはローマ時代以降は無人となり、中世初期に住んでいたのは聖職者だけだったという説もあります。
➛市壁と一体化した町並み
➛ローマ城壁の歩道
➛1129年、ロマネスク様式のカテドラルの建設が始まり、聖母マリアに捧げられ、中世後期には、サンティアゴ・デ・コンポステーラのように巡礼の中心地となりました。
➛大聖堂
➛大聖堂
➛司教館
➛ルーゴがこの地域で最も重要な都市となったのは、1833年に県制度が導入されてルーゴ県ができ、ルーゴが県都となってからのことです。
➛タウンホール
➛芸術サークル
➛夜の町並み
➛博物館
➛ルーゴの市壁は、ヨーロッパでも珍しく保存状態が良好で、欠けることなく街を360度取り囲んでいて、市壁の高さは10メートルから15メートルで、長さは2.5km、71の塔を持ちます。
➛ローマ城壁
➛ローマ城壁(ストリートビュー)
➛ローマ城壁
➛Tags=Lugo,Spain
2011年10月3日月曜日
モロッコ 世界遺産、古都メクネスの景観
➛Google Map
➛7世紀後半から18世紀にかけて首都として栄えたという古都メクネスは、当時の王、ムーレイ・イスマイールよって、フランスのルイ14世にならい、この地をヴェルサイユ宮殿のように造り上げたかったのだと伝えられています。
➛古都メクネス
➛オススメ動画 Meknès, Maroc.wmv
➛ロイヤルパレス
➛ロイヤルパレス
➛ムーレイ・イスマイル廟
➛ムーレイ・イスマイル廟
➛ムーレイ・イスマイル廟の墓所
➛マンスール門は、北アフリカで最も美しく、有名な門のひとつです。エディム広場に面した巨大な門で、王都のエリアへのメインゲート。ムーレイ・イスマイルが手がけた最後の建築物でもあり、彼の死後、その息子により1732年に完成しました。
➛マンスール門
➛エディム広場
➛エディム広場
➛ダルジャメイ博物館
➛スークの真ん中にあるメクネス最大のグランド・モスクは、内部に12の扉、143のアーチがあって、タイルの屋根は遠くからでも目立っています。
➛旧市街のモスク
➛ムーレイ・イスマイル廟から出て東に約100m歩くと、質素な大きなリフ門(風の門)があります。この門を抜けた、両側をどっしりした高い壁で囲まれた直線の道が、通称「風の道」です。その名のとおり、壁に挟まれた間を本当に強い風が吹き抜けて行きます。
➛風の道
➛ダル・エル・マの隣に大きなアグダルの貯水池があります。池の周りの道は散歩道になっていて、若者たちや家族連れなどでにぎわいます。
➛アグダルの貯水池
➛古い馬舎
➛町並み
➛Tags=Meknes,Morocco
➛7世紀後半から18世紀にかけて首都として栄えたという古都メクネスは、当時の王、ムーレイ・イスマイールよって、フランスのルイ14世にならい、この地をヴェルサイユ宮殿のように造り上げたかったのだと伝えられています。
➛古都メクネス
➛オススメ動画 Meknès, Maroc.wmv
➛ロイヤルパレス
➛ロイヤルパレス
➛ムーレイ・イスマイル廟
➛ムーレイ・イスマイル廟
➛ムーレイ・イスマイル廟の墓所
➛マンスール門は、北アフリカで最も美しく、有名な門のひとつです。エディム広場に面した巨大な門で、王都のエリアへのメインゲート。ムーレイ・イスマイルが手がけた最後の建築物でもあり、彼の死後、その息子により1732年に完成しました。
➛マンスール門
➛エディム広場
➛エディム広場
➛ダルジャメイ博物館
➛スークの真ん中にあるメクネス最大のグランド・モスクは、内部に12の扉、143のアーチがあって、タイルの屋根は遠くからでも目立っています。
➛旧市街のモスク
➛ムーレイ・イスマイル廟から出て東に約100m歩くと、質素な大きなリフ門(風の門)があります。この門を抜けた、両側をどっしりした高い壁で囲まれた直線の道が、通称「風の道」です。その名のとおり、壁に挟まれた間を本当に強い風が吹き抜けて行きます。
➛風の道
➛ダル・エル・マの隣に大きなアグダルの貯水池があります。池の周りの道は散歩道になっていて、若者たちや家族連れなどでにぎわいます。
➛アグダルの貯水池
➛古い馬舎
➛町並み
➛Tags=Meknes,Morocco
登録:
投稿 (Atom)