➛Google Map
➛今回の京都訪問は、秋の嵯峨野、鳥居本から小倉山の間を、のんびりと歩くことから始まります。
千観が念仏を唱える愛宕念仏寺を始発点として、古くは「化野(あだしの)」と呼ばれ、京の人々の埋葬の地であった嵯峨鳥居本の茅葺きの農家、祇王寺、落柿舎を経由して、嵐山にある大河内山荘までの短い距離にある史跡を、妹夫婦と1日がかりで、のんびり訪ねようと思い立ちました。
➛嵯峨鳥居本 一の鳥居
➛京都 京都市 嵯峨野(愛宕念仏寺 落柿舎 嵐山)
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➛Wikiloc ツアー一覧(後順)
➛空から街並み拝見(Google Earth)
➛四国から来る妹夫婦と京都駅で合流
➛京都駅
➛京都駅を後にして、山陰本線で嵐山へ・・・。
➛京都駅前
➛タクシーで、愛宕山参道の山麓の入り口に位置する嵯峨野めぐりの始発点として知られる愛宕念仏寺(別名千二百羅漢)に向かい、ここから1日かけて嵐山まで、のんびり歩きながらの史跡巡りです。
➛愛宕念仏寺(別名千二百羅漢)
➛愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)は、愛宕山参道の山麓の入り口に位置する嵯峨野めぐりの始発点として知られています。8世紀中頃、稱徳天皇により京都・東山、今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建され、千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕念仏寺と改められました。
➛千二百羅漢
➛愛宕念仏寺より少し下がった嵯峨鳥居本、古い町並が残る鳥居本周辺には、愛宕神社への門前町としての風情が残る一の鳥居、平野屋、つたやがあります。
➛一の鳥居
➛平野屋
➛つたや
➛つたやは、400年の歴史を誇る鮎の老舗で、春は木の芽、筍、ふきのとう。夏は天然のあゆ、嵯峨豆腐の冷や奴。秋は松茸。冬はかに、寒鮒、湯豆腐、ぼたん鍋など、吟味した素材の選択と手を加えすぎない自然の味わいが魅力です。
➛つたや
➛古い町並が残る鳥居本周辺
➛町並み
➛古い農家
➛嵯峨鳥居本を過ぎて化野念仏寺を訪ねます。
弘法大師が、弘仁二年(811)化野の風葬の惨めさめを知り、五智山如来寺をつくり里人に土葬という埋葬を教え、その後、法然上人がここに念仏道場を開いたことから化野念仏寺と呼ばれることになりました。
➛化野念仏寺
➛化野念仏寺
➛化野念仏寺
➛現在の建物は江戸時代の始め(1712)に再建されたもので、明治に入りさらに化野に散在していた無縁仏、石仏、石像約8,000体を集め今日の形に供養するようになりました。
➛化野念仏寺
➛化野念仏寺
➛化野念仏寺にて
➛化野念仏寺にて
➛化野念仏寺
➛化野念仏寺から下る道筋には、特色のある店が立ち並び、多くの観光客が行き交います。
➛化野念仏寺から祇王寺への道なり
➛化野念仏寺から祇王寺への道なり
➛化野念仏寺から祇王寺への道なり
➛化野念仏寺から祇王寺への道なり
➛化野念仏寺から祇王寺への道なり
➛化野念仏寺から祇王寺への道なり
➛化野念仏寺から祇王寺への道なり
➛間もなく祇王寺へ
➛尼寺である祇王寺は、元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至っている尼寺で、源氏物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られています。
➛祇王寺
➛祇王寺
➛隣接する滝口寺は、高山樗牛が1894年に書いた小説「滝口入道」の舞台となった寺で、斉藤時頼が、横笛との恋愛を反対され、失意の後に出家し仏門修行に励んだ嵯峨の往生院、滝口寺として、この悲恋を今に伝えています。
➛滝口寺
➛秋の嵯峨野をめぐり、落柿舎、二尊院を訪ねます。
落柿舎は嵯峨野観光のメインストリートにあって、俳人で松尾芭蕉の門下の一人であった向井去来が閑居した跡と云われています。
➛落柿舎
➛落柿舎のいわれは、商人が庭の40本の柿の買い入れを決めて代金を置いて帰ったけれど、その夜の嵐で柿の実が全て落ちてしまったことから生まれたと云います。
➛落柿舎
➛落柿舎
➛二尊院は、天台宗の寺院で山号は小倉山といいます。総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られ、奥には、百人一首ゆかりの藤原定家の時雨亭跡とされる場所があります。
➛二尊院参道(2001/11/21撮影)
➛平安時代初期の承和年中(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝えられ、以後、荒廃するが、鎌倉時代初期、法然の高弟である湛空らにより再興。
二尊院勅使門(2001/11/21撮影)
➛応仁の乱により堂塔伽藍が全焼しますが、本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に三条西実隆によって再建されました。
二尊院本堂(2001/11/21撮影)
➛二尊院
➛常寂光寺は、嵯峨野にある日蓮宗の仏教寺院で、百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれ、その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされます。
➛常寂光寺
➛常寂光寺本堂
➛嵯峨野観光線トロッコ嵐山駅
➛大河内山荘は、時代劇などで知られる俳優大河内傳次郎が別荘として造営したものです。
➛大河内山荘
➛昭和9年(1931年)、傳次郎34歳のとき、当時長期保存が難しかったフィルムに対し永く消えることのない美を追究するため、自身で設計し、この庭の造営を始めました。映画出演料の大半を注ぎ込み64歳で亡くなるまで30年の歳月をかけてこつこつと作り上げたもので、東の嵐山、遠くは比叡山、西の保津峡を借景にした回遊式であり、庭師広瀬利兵衛とともに造営を行いました。
➛大河内山荘大乗閣
➛大河内山荘中門
➛大河内山荘より保津峡を眺望
➛天龍寺
➛京福電鉄嵐山駅
➛渡月橋
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