➛編集中
➛Google Map
➛東海道五十三次は、江戸時代に整備された五街道の一つで、東海道にある53の宿場を指します。古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられました。
➛歌川広重の東海道五十三次より「日本橋」
➛東海道五十三次
➛基点の東京都中央区の日本橋には、日本の道路元標があり、日本の道路網の始点となっています。
➛日本橋 道路元標
➛旧東京市道路元標が、1972年に橋たもとの「道路元標の広場」に移設され保存されています。
➛日本橋 旧東京市道路元標
➛東海道の第一宿、品川宿には、江戸時代、大名が宿泊する本陣が置かれました。明治天皇が休憩した行在所としても使われたことから「聖蹟」の名が残ります。
➛➛品川宿 本陣跡(聖蹟公園)
➛品川宿交流館は、品川宿を旅する人の休憩場所です。
➛品川宿交流館
➛第二宿、川崎宿の川崎・砂子の里資料館は、神奈川県川崎市川崎区砂子の、旧東海道沿いにある私立美術館で、川崎市観光協会連合会会長を努める館長・斎藤文夫の浮世絵コレクションが展示の中心となっています。資料館の外観は江戸町屋風の海鼠壁の建物で、約200年前の東海道川崎宿の復元模型も展示され、浮世絵を中心に毎月企画展を開催しています。
➛川崎・砂子の里資料館
➛第三宿、神奈川地区センター前に、かつて神奈川宿の瀧之橋のたもとにあった高札場が復元されています。
➛神奈川宿 神奈川地区センター高札場
➛浄瀧寺は、旧イギリス領事館でした。辺りには、甚行寺(旧フランス公使館)、本覚寺(旧アメリカ領事館)などがあります。
➛神奈川宿 浄瀧寺
➛第四宿、程ヶ谷宿は、東海道では武蔵国最西端の宿場町です。本陣は後北条氏の家臣・苅部康則の子孫が代々勤め、明治に軽部姓へ改称して現在も同地に居住しています。
➛程ヶ谷宿 本陣跡
➛程ヶ谷宿 問屋場跡
➛第五宿、戸塚宿は、日本橋から旅程がちょうど一泊目にあたり、旅籠数が五十三次中、小田原宿に次ぐ規模でした。大山道、鎌倉街道、厚木街道などと交差する要衝で、幕末の黒船来航の際には、避難民が逃げてきたといわれています。
➛戸塚宿 澤辺本陣跡
➛第六宿、藤沢宿は、東海道五十三次整備以前から遊行寺の門前町として栄え、後北条時代は小田原城と支城の江戸城、八王子城をつなぐ小田原街道の分岐点でした。
➛藤沢宿
➛遊行寺は、時宗総本山の寺院で、藤沢山無量光院清浄光寺と号します。代々の遊行上人が法主(ほっす)であるため遊行寺(ゆぎょうじ)の通称の方が知られており。藤沢道場ともいいます。
➛藤沢宿 遊行寺
➛白旗神社は、関東地方・東北地方・中部地方に分布する神社で、白幡神社・白籏神社とも表記されます。多くは源頼朝を主祭神としますが、他に源義家・源義経などの源氏の武将、源氏の氏神である八幡神を主祭神とするものも多く、社名は源氏の旗である白旗に因むものです。
➛藤沢宿 白旗神社
➛第七宿
➛平塚宿 脇本陣跡
➛平塚宿 平塚八幡宮
➛平塚宿 お菊塚
➛第八宿
➛大磯宿 小島本陣跡
➛大磯宿 地福寺
➛大磯宿 鴫立庵
➛第九宿
➛小田原宿 脇本陣古清水旅館資料館
➛小田原宿 なりわい交流館
➛小田原城
➛小田原 滄浪閣跡
➛箱根 成川美術館
➛箱根 旧街道杉並木
➛第十宿
➛箱根関所
➛箱根 遊覧船乗場
➛山中城跡
➛山中城跡茶店竹屋
➛第十一宿
➛三島宿 世古本陣跡
➛三嶋大社
➛三嶋大社拝殿
➛楽寿館
➛源兵衛川
➛第十二宿
➛沼津宿 沼津城本丸址
➛光長寺
➛千本松原
➛第十三宿
➛原宿 徳源寺本陣跡
➛第十四宿
➛吉原宿
➛第十五宿
➛蒲原宿 本陣跡
➛蒲原宿 西木戸
➛第十六宿
➛由比宿
➛東海道広重美術館
➛由比宿おもしろ宿場館
➛第十七宿
➛興津宿
➛清見寺
➛坐漁荘
➛第十八宿
➛江尻宿
➛清水の次郎長生家
➛梅陰禅寺 次郎長像
➛第十九宿
➛府中宿
➛駿府城跡
➛西郷・山岡会見の地
➛丸子宿は、東海道中でもっとも小さい宿場で、天保14年(1843年)の記録によると、家の数は211軒、旅籠は24軒であったといいます。
➛第二十宿
➛丸子宿
➛丸子宿の丁子屋は、1596年(慶長元年)創業のとろろ汁の老舗で、。「東海道五十三次・丸子」に描かれました。静岡市駿河区丸子7-10-10に現存しています。
➛丁子屋
➛第二十一宿
➛岡部宿
➛大旅籠柏屋
➛藤枝宿は、江戸時代、田中藩が志太平野の村々を治めたことから、藤枝は東海道五十三次の宿駅として上り下りの旅人でにぎわいました。
➛第二十二宿
➛藤枝宿
➛江戸時代後期、田中藩主・本多家の庭園であった下屋敷は、城の南東隅にあたり、築山・泉水・茶室も設けられて、四季の草花や月見の名所として知られていました。
➛田中城下屋敷
➛島田宿は、大井川の左岸(江戸側)にあるため、増水で大井川の川越が禁止されると、お伊勢詣りなどの江戸から京都方面へ上る旅客が足止めされ、さながら江戸のような賑わいをみせました。「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠われた、東海道の難所の一つです。
➛第二十三宿
➛島田宿
➛島田市博物館分館
➛川越茶屋そば処玄芭蕉庵
➛島田市博物館には、江戸時代の大井川島田宿の川越しをわかりやすく紹介する常設のほか、特別展を開催しています。
立体的な映像のジオラマビジョンで島田宿の様子を見ることができます。
➛島田市博物館
➛大井川川越遺跡は、江戸時代、旅人が大井川を渡るためには、人足に肩車をしてもらうか、輦台(れんだい)というみこしのような乗り物に乗り、担いでもらっていました。その「川越し」の料金所(川会所)や、人足の待合所(番宿)などの風景を再現したのが、この遺跡です。
➛大井川川越遺跡
➛大井川➛金谷宿は、大井川の右岸(京都側)にあり、牧之原台地が迫る狭隘な場所ですが、増水で大井川の川越が禁止されると、江戸へ下る旅客が足止めされ、島田宿と同様、さながら江戸のような賑わいをみせました。
➛第二十四宿
➛金谷宿
➛東海道金谷宿マップ
➛東海道五十三次 島田宿(第二十三宿)~大井川~金谷宿(第二十四宿)の道のり
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿